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イオレスの摘み草記

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    多摩川の川っぺりに越して随分となりました。 ベランダから見下ろす多摩川相手に写真の稽古を付けさせてもらっています。
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2005年1月

2005年1月31日 (月曜日)

哀しみ

haru_no_hi_no_chobi
hei no ue ga suki de yoku kyoudaitachi to netemashita

ちょび
土曜日、食事の時に『お祖母ちゃんから電話があった、昨日、ちょびやっぱりだめだったんだって..』とメリーがぼそりと切り出した。
『昨日?電話なかったよね..』
『落ち着いたからかけたんじゃないかな..今日。癌だったんだって、ちょび。口内炎じゃなかったんだ。』
『癌か...』
母の哀しみを思い、ただ何もいえなかった。
『あした、お祖母ちゃんこっちにくるかもしれないよ。何見ても何しても泣き通しなんだって言ってたからね。』
ちょび。
母が3代面倒をみている外猫の一族だ。ボロばあちゃん筆頭にちーこかあちゃんと3匹の子ども達の一匹がちょびだ。最初から母になつき可愛がられていた。ただ、小さい時から体が弱く心配し通しだったという。食事もほかの兄弟達とは別メニューにしていた。昨年末から具合が悪くなり家の中にいれて面倒をみていたのだが...。
外猫の上に母以外の人間を恐がっていた事から医者に連れて行くのも後々の事を考えるとなかなか踏ん切りがつかず、往診してもらっていたが根本的な治療というのには程遠かったらしい...。なじみの先生だから往診してくれていたのだけれど、くまっちの具合の事とと並行しつつ口の利けない者たちの病気治療について考えさせられた。
くまっちは性格からしても病院に連れて行き治療できたけれど人間が怖くて飼い主や面倒をみてくれるものにもなかなか馴れないような子達が病気や怪我をした時はどうしたらいいのだろうか。良かれと思ってした事でその子にとって拷問に等しい事になっていたら、と思うと治療に踏ん切りが付くだろうか。難しい選択の中で母もまた、『出来る』事は何かを悩み考えながら過ごしたこの2ヶ月余りだった。
『家に居ると色々思い出しちゃうから..』そう言って母はやってきた。
お昼を一緒に食べるくらいしか出来ないけれど、それで少しは母の気持ちが和らぐのならこんな簡単な事はない。
『くまっち、大事にね。』
そう言って母は帰って行った。
そうだ、そうなのだ。
我が家だってくまっち以外のにゃん達が具合悪くなった時のことを考えると頭が壊れそうになる。
獣医も大好きなくまっちはとってもかけがえない奇特な存在なのだと改めて思う。
『くまっち、いい子だネェ..』
陽だまりにのびのびすりすりしている本猫はただただ冬の陽だまりを楽しんでいた。

2005年1月26日 (水曜日)

退院

tenteki


kuturogu kummachi tenteki no ato wo nametemasu

取り敢えずの...我が家

くまっちの一時退院が許可されました。
まだ下痢が止まっていませんが、投薬で様子を見ることにしました。
『切るのはいつでも切れるから』
先生の判断を信じ、くまっちが小康状態から快復へとたどってくれる事を願うばかりです。
入院中は点滴のおかげでしょうか、食欲が復活。
モンプチ・消化器系統用の療法用のかりかり・缶と3種類のご飯を貰っていたそうですが、やはりくまっちはもんぷち、です。モンプチを食べちゃったら仕方なくカリカリを食べて療法食の缶は残したとか...美味しい物好きのくまっちらしいです。
自転車で帰宅後おしっこに早速行き、その後は我が家を確認。
お日様一杯のリビングに腰を下ろすともう、ごろんごろんのすりすり、なめなめです。
久しぶりの我が家に漸くほっとしたのでしょうか...、そんなくまっちを見ているのは飽きません..、良かった。
治療費も思ったよりはかかりませんでした。
治療といい費用といい良心的な獣医先生にめぐり合えた事はくまっちにも私にも本当に幸せな事だと思います。
だけれどもねぇ...昨年末の入院と今回とで優に海外旅行できちゃうくらいの出費です。
なんともトホホホ、なんですが何よりも健康第一です。
お天道様に正直に生きていけばお金は天下の廻りもの、何とかなるものでございます。
海外旅行へはまだまだ、ということでくまっちが元気になるのが一番です、ホント

2005年1月25日 (火曜日)

報告

chippo
myouji ga tuku nowa chippo dakenandesu

すごいぞ
くまっち、25日一時帰宅が許されるかもしれません。
病院で皆に懐いてすりすりごろごろ...『いい子ですね..本当にいい子ですね』
看護婦さんも先生もみんななでなでしてくれてよかったね...。
明日、帰れるといいね...。
帰れなくても元気になってくれるのなら待ってるからね、面会にも毎日行くように頑張るよ...。
広島からも『くまっちには代えられない』って言って来たよ。
皆で待ってるからね、しっかり治そうね、くまっち。
所でくまっち、おとうさんの会社、F1ニュースに載ったよ。
ピピンとびっくりしちゃったよ。
『へぇ~、こんなにスゴイ会社だったんだ....』
そうなんだね...すごいんだね。改めて見直しちゃったよ、給料以外はね。
頑張れ、くまっち。
すごいぞ、おとーさん。

2005年1月23日 (日曜日)

反省

boku_no_onaka
kono moyou ga namae no yurai desu

キクハイットキノ....
よくお邪魔する掲示板さんにセカンド・オピニオンについてご意見を伺わせて頂きました。
沢山書き込みをしていただいて正直こんなに書き込みしていただけるとは考えていなかったので驚いたし、真摯な意見やご注意がありがたかった。
昨日、どうしてもどこかでなにかがずるずるしていて重い書き込みだとおもいつつ、管理人様に甘えてしまった。
反省その1。
そして、セカンド・オピニオンを聞きに行ったという割にはほんとうにどういうことがセカンド・オピニオンなのか理解していなかった事を痛感。
反省その2。
まずはくまっちの事を第一に考えていると思っていたけれどどこか自分の体面を考えていたんだと言う事が判った。
反省その3。
これまでの先生にキチンとお話をすれば先生だってそりなりに一緒に考えてくれただろうと自分の考えのなさに
反省その4。
嵩んだ治療費の工面が頭に残り続けていてなにがどうなのか、確固たるものが不完全であったことが
反省その5。
とにもかくにも己が心をもう一度省み、改めて書き込みしてくださった方々と管理人様に心から感謝するとともに今一度『くまっちに今出来る事』を頑張ることに致します。
我が家ではくまっちがいなくなったら本当にどうしていいかわからないのばかりなんです...、早く元気になって戻ってきてもらうしかありません。
ギズモ、くろぴーはもとよりピピン、お前もだものね....、あ、ビル簿旦那もいましたね...。
斯く言う私もそして君もですよ、メリー...?

2005年1月22日 (土曜日)

入院

kumaachigizumo
itumo gizumo wa kumaachi ni nametemooawanaito nerarenai...

今、出来る事
今日紹介してもらった獣医先生のところへ行きました。
待たされて、出てきた獣医先生..二人とも女医の言葉に自分の厚かましさと無知さといい加減さを錐でつつきまくられたようで精神的に疲れ果てたところで院長登場。沢山の患者が来るのも頷けました。
何をどうしたくて来たのではなくて、どうしたらいいのか悩んできている事を汲み取ってくれて今くまっちにしてあげられることをやります、と決めてくれました。
入院です。
点滴治療して月曜日にもう一度検査をします。
一緒に行った長男曰く『万が一手術となったら今の先生の所のほうがいいかもしれない。これまでの先生が悪いのではなくて、普通の風邪ならかかりつけの先生に行くけれど大きな病気で大学病院へ行くのと同じに考えればいいんだよ。』
この言葉にほっとしました。
そうだ、そうなんだよって。
これまでの先生も開業したてだけれど本当に頑張って一生懸命に診てくれたけれど手術はやはりどれだけ経験しているかも大きい。ベテランの外科医を頼りたいのは普通の患者としての気持ちではないだろうか...。
レントゲンの結果、肺の様子と腸の陰がポイントになりそう。
もし肺の腫瘍だと犬よりも猫のほうが致死率は高い、ということだった。
今してあげられること...そのことだけを考えようと思った..。
実家の母の所も厳しい状態のようで母の心がかなり動揺しているのが電話を通して伝わってくる。
命の瀬戸際、それはどんな生き物であれ愛しさを持っている者には何よりも辛い事、母もまた今出来る事を精一杯している。ペットロスで一番怖いのは後悔すること。どんなに手を尽くしお金をかけてもどうする事も出来ないことだけれど、その時にどれだけ後悔を残さずに済むかが後々とても大きい事をモグの時に思った。
アナグマさんが『もう、私はいくよ』と言ってトンネルの向こうに逝ってしまった。
残された者がそれを慰めに思い出を一つ一つ大事にしていけるよう、心残さずくまっちとそして5にゃんず達と向き合っていかなければいけないのだ。生き物を飼うとは楽しいことばかりではないけれど人間としての度量を試されているのだと思う。『今、出来る事』、大変だけれどとても大事に考えていかなければと改めて思う。

2005年1月21日 (金曜日)

バリウムとレントゲンと

kumachikumappe
daisukina ojicchan ookikute attakai ojichan kumappe fuyu no hidamari

どうした?くまっち...

セラピスト・くまっちの嘔吐が止まりません。
原因究明のためバリウムを飲んでレントゲンを撮る事になりました。
朝から夜まで、心配で多分先生の言う事は聞いているとは思ったけれど人間だってバリウムは出来れば遠慮したい。そういう日に限って用事がある。とにかく可能な限り急いで迎えに行った。
先生大絶賛の優良患畜だったくまっち。
そうなんだ、そうだからこそ、くまっちを早く治したい。
くまっちが居なくなったら、何て考えただけでもぞっとする。私自身含めて。
ペット・ロスは人間がかかるものじゃない。飼われている者同志の喪失感は癒しようがない、薬もない。
モグが旅立ったとき、ちっぽはまだ小さかったなの覿面だった。
元気な子猫が突然食欲不振になり下痢が始まりしょんぼりと籠から出てこない。たまにでてくるとモグの寝ていた部屋でモグを探して泣き歩く...。夜は1匹で寝られなくて抱っこしてやらないとうろうろおろおろとしてしまう。
ああ、このままこの子も逝ってしまったらどうしよう!!
 気が気じゃなくて獣医先生のところへすっ飛んで行ったが結局対処療法で様子を見る事しか出来なかった。3ヶ月くらい過ぎただろうか...漸く猫じゃらしに飛びつき、スーパーボールでジャンプして遊ぶちっぽに戻ってきたのは。
それでもしばしば、モグを看病していた部屋で何かを探している風が続いた。
今の先生も若いけれど一生懸命だ。
でも...。
より良い治療方法を考えた場合セカンドオピニオンの必要もあるのではないか、悩んでいる。
保険も利かないから治療費は馬鹿にならない。
けれど今できる事は、くまっちにとってベストな事は何なのか、早急に対処しなければならない。
頑張れ、くまっち。
少しでもいいから食べておくれ...フライパン猫じゃなくなっちゃうよ....皆くまっちが大好きなんだ....。
むくむく、ふくふく、セラピスト・くまっち、どうしたらいいのかな...。

2005年1月14日 (金曜日)

同期

koshitantan


kore ga tadaima wagaya no godzilla desu


ゴジラ ファイナル ウォーズ


同い年です、あちらサンの方が少し早く生まれています。
初めて見たとき、本当に恐かった。
なんて怖い映画だろうと思った。
ここ数年は、ハム太郎なんていうネズミのマンガと抱き合わせに上映されていたけれど、ゴジラとしてはきっと不本意であったに違いないのだが製作者である東宝がどーもゴジラを扱いかねたような所があって今ひとつ乗りの悪い、要するに出来の悪い結果となるべくしてなったというようなものばかりでだんだんゴジラが情けなくなってしまった。
欲がでている、というのだろうか。
凝りに凝った『オタク』受けを狙うわけにも行かず、かといって子ども向けにおちゃらけてしまえず、扱いかねてハリウッドに委託製作したら『魚を餌にするようなただのジュラシックパーク』に成り果てて、こりゃいかんとあわてて本家がまたご出座したものの....尻つぼみだ。
ゴジラとガメラとは出所が違うんだから同じような懲り方しても所詮は無理な話なのだから素直に『ゴジラ』を撮ればいいのに、下手に欲出してしまって『ありゃりゃ...』。
もう2度とつからないとの仰せだが、東宝にゴジラなくして東宝でありえない、ということも判っていない証拠だと思う。
一応ラストということで見に行ってきましたが、東宝さん、ゴジラに電子音ぴーぴーの音楽はやめなさいね、ゴジラの重量感とエンディングの音楽がかくも合わない作品が最後なんてしゃれにもならない。盛り上げも何もあったもんじゃない...最後なんだからもう少し重厚に荘厳に盛り上げて音楽だけで泣けるようにして欲しかったです。
伊福部さんのあのゴジラのテーマとべた足(今回キックしていたのにもたまげた...そんなキックできるほどゴジラって足長かったっけ)、そしてあの叫びと熱線、新名所の破壊をフルオーケストレーションでやってこそ『ゴジラ』なんです。
結局、第1作を越えるゴジラはいなかった、ということでおしまいというのはなんともゴジラ同期としちゃ哀しいんですけれどね...、あと10年位したら再び『再見』となる事をねがうけど、そうするとゴジラも私も『還暦』です。
赤いちゃんちゃんこ着たゴジラ、になるのかな?
こりゃ見ものですわね...。そうでもいいからと同期としては来臨を待っておりますよ。

2005年1月10日 (月曜日)

成人を祝う会

2005seizin
omiyamairi mo koko deshita

行くのもするのも

某23区内区主催『成人を祝う会』に長男が行ってきました。さんざ考えた末、紋付やめてスーツで行く事に。
着ていくものと思っていたので正直『早起きしたのに...!』と思いましたが我が区のことを考えると長男の選択は正しかったかな、なんて考えていたら思ったより早くうんざりした顔で帰ってきました。会場は新しく出来たホールではなくて見るからに古く汚い体育館というのも気になっていたのですが案の定『ひどかった』そうだ。区立中学別に仕切られてていて私立に行った子の席なんぞいかにも『来なくていい』といわんばかりに用意されていなくって立ちっぱなし。
来ている連中も連中なら、やっている側も『やってやったよ』程度のお粗末な式の内容で3部構成にも拘らず早々に離脱してきたそうな。とにかくタバコ臭くってかなわなかった、折角紋付きてもあれじゃタバコのにおいを染み付かせるようなもんだったから着ていかなくて良かったとか。
荒れる成人式と聞いていましたが、主催者側の心意気が無ければ荒れようも無いのかな?
記念品もへったくらもなかったねぇ...て、やれやれ。立派な建物あっちこっちに作ったり買ったりしている割にはこれからの区政を頼む成人に心に残るような式一つもしてやりもせず、施設を使わせもせずじゃどうしようもないんじゃないかしらね...。
区政への関心をはなっから期待していないということなんですか、ねぇ~?

2005年1月 9日 (日曜日)

今様どんど焼き

dondoyaki

松飾

我が家の松飾は昔ながらのわらと籾、そして橙を使った素朴で昔ながらのものです。
製作者のお名前付きで生活クラブが届けてくれるものです。
昨年は松があけて、始末に困りました。縁起物だしゴミとしてすてるのもかなり気が引けます。
今年は幸い掲示板にどんど焼きのことが載っていたのをみましたので正直ほっとしました。
今朝、9時までの受付というのを見忘れていてあわてて紅白の紙をひらひらさせつつ走っていきました。
地元の神社というのは地域のコミュニティでもあった訳で、自治会メンバーも当然氏子として既に準備に勤しんでいました。獅子舞もこうした活動の一環なんだろうと思いますが、昨今の地域の交流の欠如など言われていますから昔ながらのこうした地域の繋がりは大事にしたいし、獅子舞のお兄ちゃんたちがいる事は本当に良いこと。
行くと富岡八幡宮のように大掛かりなどんど焼きではございませんが灰が極力飛ばないようにとおっきな鳥かごみたいな金網製のがっちりした囲いの中に松飾が入れられて居りました。生ものである橙は次ははずしてね、と世話役さんに言われました。そーか。水分が多いので橙ははずしておくほうが良いのを知りました。
正月の行事、というより日本の正月から始まる様々なしきたりや行事を今年は少しでもやって行こうと思います。
また、やって行きたいと思う歳なのかもしれません、今の内に、ですか。
9時からどーんと火をたくのかと思ったらアニハカランヤ...、神主様の祝詞と御祓いが延々と...、寒かった...。
ようようお炊き上げへ行く行程へと進みましたがここでもまたまた祝詞と御祓い、お清めが。
すっかり冷え切ってしまいましたがお炊き上げが始まる(火がついたら拍手、というのもはじめて知りました)とそりゃ、もうあったかどころか熱い。そりゃ、ぼんぼんと火を燃やしているわけですからね..。次にお神酒とお餅が振舞われました。餅というのはやはり晴れの食べ物なんですね。
八百万の神様がおわします瑞穂の国の正月も松が明け、明日成人式でございます..でもなぁ..日日でやっぱり決めて欲しいなぁ...やるのに意味と謂れがあったほうがやっぱり祝いやすいですからね。

2005年1月 4日 (火曜日)

成人式

tondemonai

黒紋服羽織袴
昨年2004年の夏、長男は弱冠となりました。だから新春を迎えるに当たって成人式をどうするか、というのがありまして、結局の所やっぱりかなりの物入り、になることは間違いありません。
で、お祖母ちゃんにおだてられたわけではないでしょうが、羽織袴を着る事にかなり乗り気になっておりまして、こっちとしては後の事を考えると『スーツでいいじゃん、ブレザーでいいじゃん』なのですが、まあ、確かに母の言うとおり一生に一度の事なのでそれでは、と言う事で結婚式以来21年ぶりくらいに紋付袴を出して見ました。
案の定というか、もう笑っちゃうくらい“つんつるてん”。
肘まで見えるとまではいいませんがここまで出るとは思わなかったくらいにょっきりと腕が出ていました。
それでも誤魔化せない事はありません。
ただし草履と足袋はいかんともしがたく急遽ネットで草履を購入。間に合うといいのだけれど。
広島の義母から預かった着物をいれた箪笥の盆をそのまま持ち出し、襦袢の帯のと確認してさぁしまおうと戻ってみたら....。
まーったく、君たちはまさしく“猫”以外の何者でもないね、でありました。
ギズモ、そしてチビ・おでん。
パパさんのカシミアのセーターは気に入ったかい?
でもね、着物さんのほうが優先権があるんだ、悪いけどでてもらうからね。


2005年1月 2日 (日曜日)

獅子舞

2005shishi

縁起物
ここの所の正月は地域性ということを考えたのでしょうか、管理組合+自治会ともにご近所の神社の氏子として色々やってくれます。で、正月と言えばこれ。
獅子舞です。
小型トラックにお囃子載せてやってくる獅子舞のお姉さんとお兄さん、頑張ってくれていてなんか、頼りなげなチームなんですがとても将来のこと、町内のことを考えるととっても頼もしく見えます。
昨年はひょっとことお獅子だけでしたが今年はおかめも一緒の揃い踏み、御縁があるようにとお年玉を子どもに配ります。でも、去年なんかその意味がわからなくて包みをあけ『五円しかねぇじゃん』と捨てた罰当たりな子どもも...、親の躾と言うか家庭の中が垣間見た気がして正月早々気分よくありませんでした...。今年そんな罰当たりはいなくって反対にお獅子にあげるため前もって渡されていたご祝儀をひょっとことおかめに渡した子はいましたけどね。
甘酒も振舞われてうららかな正月の風景と相成りました。
かと思えば大晦日に愛する家族を失った家庭もありまして...、色々様々な事情から家族で急遽おまいりに。
久しぶりの車での遠出となりましたが正月2日から喪服姿はどうしても目を引いちゃいます。
年に一番の晴れの日ですからねぇ..正月は。
心からご冥福を祈るとともに残された家族に慰めと悲しみを癒す平安が一秒でも早く訪れてくれる事を祈るばかりです。
それにしても、福袋騒ぎに始まってなんと忙しい日だったのだろう。
今年はせめてゆったりした正月にしたかったんですけどね..やれやれ。

2005年1月 1日 (土曜日)

謹賀新年

mt.fuji2005

明けましておめでとうございます

2005年も無事に明けました。
年末近くに風邪菌のよもやの襲撃に9日間入院と相成りました。
年賀状というのはビジネス的にある意味挨拶だけのために出すわけではないので結構重要なんですが、印刷もしていなかったのでかなり気を揉みました。なんとかぎりぎり仕事納めまでには決着つけられてほっとしましたが退院してすぐでしたから思った以上に消耗してしまったみたいで、年越ししてまだまだバッチ、ぐーとまではいかなくなりました。そういうことからすると恒例化していた全国実業団駅伝予選敗退で群馬・太田までの応援がなくなったのはとてもよかったのかもしれません。
歳、なんですよねぇ...。やっぱり休む時は休まないといけない、ということなんでしょうね。
今年は正月休みがぎりぎりで短いからなんとも気忙しい正月になりそうですが、まあ、なんとか息災でいけたら何も言うことはないと思っています。
明日、獅子舞がくるそうで、ご近所のお宮さんでも初詣に参り、日本の正月にひたるのもいいものだと思います。
皆々様のご多幸を心よりお祈り申し上げ新年の挨拶といたします。
『今年もよろしく。』


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鳥撮りです

お世話になります

My Nyans

  • DeBoomo=Zash 巨猫団入団!
    新メンバーとして許可されました 025
  • 巨猫団入団!!
    ☆我が家の癒しの権化@妖怪まくらぬし、くまっちが晴れて巨猫団の団員として認められました...。 今後ともご別懇に♪ 巨猫団。 くまっちのとても素敵な想い出になりました。 1_667
  • ☆ちびおでん
    oden その年は子猫の保護に翻弄された年でしたが、その第一弾がこの子でした。マンションの通路1階においてあったタイヤ(共用部分なのでホントは不法なのだが...)のなかで泣いていたのを私が保護せざるを得ない状況でつれて帰ったのが始まり、約一週間後に実家から持ち込まれた鼻気管炎の子、そして2ヶ月後に生まれたての3匹が排水管に投げ込まれ...結局9月に我が家には9匹の猫がいた勘定になるが、哀しいことに生まれたてのチビちゃん2匹は神様がお手元にお寄せになられしまわれた。新しいお家を探し始めたものの最初に保護した子はとってもナーバス、猫と飼い主になる方との試験期間もこの子には無理かもしれない、獣医の薦めにのっかって2匹を手放した寂しさに負け残したのがチビ・オデン。もっとましな可愛い名前を思っていたのにいつの間にかメリーが毛色などから『おでん』と呼んでいたのが定着、やれやれである。ただいま2歳、我が家のトラブル・メーカーである。毎日のように大好きなメリー兄ちゃんを困らせているしちょいちょいと隠れちゃ出す爪でストッキングの伝染被害増加中。さんざっぱら『あれ、いや。これ、いや』だが夜中にそっとやってくるチビちゃん、棄てられた子の心を治す事なぞできるものではないのだと改めて思う。『どーして、おにいちゃん困らせるの?!』今日もメリーの小言が聞こえています。
  • ☆通称・クロちゃん
    kuro クロチャンの本名は長いです、彼女が何かしでかすごとに名前がくっついて行きました。 “はげちょびっち・くろぷーすけぴー・たりりんぼまーる・かす”我が家最強にゃん、ちっぽと癒しの権化くまっちと兄弟とはとても思えない“不出来”な妹です。ちっぽたちはお腹に居る時から『モンプチ』などの高級カンカンで育ったのですが、諸問題が勃発、本当は避妊手術してクロちゃん達は生まれない予定だったのです。トラブルメイカーのためにくまっち達の育ての親代わりの方達が引っ越されてしまい、クロチャンたちも生まれてしまいました...。その後なんとかクロチャンたちのような事にならぬようクマかあちゃんは避妊の手術しましたが結局生まれた5匹の内里子にだせたのは『紋次郎』と名前を付けられた子とあまりの臆病とお間抜けに里子に出せなかったクロちゃんだけ。紋次郎も里親さんと連絡取れにくくなり元気でいるのかどうか不明になっています。契約書を取り交わす事を決意したのはそういうことからもあるのですが、なんにしてもクロチャン保護に当たっては結構大変でマンション自治会のメンバーとも一戦交えた事も。『野良なんか人に馴れるもんか』といわれましたがそんな事はありませんよ、自治会メンバーの一人であるピル簿旦那の帰りを心から待ちわびるのはクロチャンですから...。 ***2014年9月9日14時32分、16歳、右目した瞼にできた腫瘍により虹の橋を渡りました。
  • ☆みぃちゃん*********************2006年8月11日 肝嚢胞により死去、推定年齢15歳
    mie 三毛のみぃちゃんは12年も外暮らしをしていたしっぽの短いチイチャクて痩せた老猫です。面倒を見ていた方が引越しされてからずーっとそれとはなしに管理人の目を盗んでご飯をあげたりしていた。ペットクラブ設立を機に管理人さんに事情を話していつでも家に入れられるようにご飯をあげてなれさせたものの果たして我が家に来てくれるかどうか心配だった。老齢化が目に付きそろそろと思っていた矢先に子猫騒動で保護が伸びてしまったが冷夏と暖冬に救われた。しかし、東京も結構雪が降るんです、1度保護に失敗して様子を改めて見ていたのですが2月霙の夜、風邪を引いたのかよろけるように隠れ場所からでてきたのを見て援軍の息子二人を引き連れ有無を言わさず保護。しばらくはケージ暮らしをしてもらいましたが現在テーブルの下をわがテリトリーにして暮らしています。歯がもう抜けてしまっているのでお粥のようにしてあげいますが食欲旺盛。カリカリも食べたがりますがやっぱり丸呑みになるのでばあちゃんだけ別メニューです。多分12歳、ですから人間で言うと90才くらいでしょうか。目が余り良くないせいもありマンション敷地内でちんまり大人しく暮らしていたことが良かったのかも知れません。おしっこをあっちこっちにしてしまうので気をつけなきゃいけませんがペットシーツで済めばいい事。何にしても“長生きしようね、頑張ろうね..”です。
  • ☆ぎずも・ぐれむりん
    gizmo ☆ギズモ・グレムリン *********2009年7月1日。 慢性肝炎からの胆石と急性の膵炎により、手術後、急逝。享年10歳。 通称ギズくん、もしくはちゅーくん、は保護する前はどんな目に会って来たんだろうか。とにかく鳴けない、のどもごろごろしない、小心者というよりとにかく臆病だ。地震雷台風は大嫌い。すぐに情緒不安定になってしまう。くまっちに抱っこしてもらいなめてもらわない手落ち着かなくて寝られない。可愛い外見ではわからない彼には痛みが残っている。里親ポスターすら作らなかったのはギズモだけだった。まぁ、マンデに似ていたことも里親探すこともしなかった理由でもあるんだけれど。
  • ☆癒しの権化 くまっち
    *********2007年5月14日午前2時38分多臓器不全により死去 kumakun クマッチ君です。ちっぽとは同腹の兄弟ですがクマ母ちゃんがどうしても預けてくれず2年半ほど外暮らしを経験。ただし、幼少時お世話をしてくださった方にとっても大事にされたためとても性格が◎。その体格といいまさに癒しの権化でございます。セラピスト・クマッチの力は絶大。傍にこられただけでもの皆安らぎに包まれふかーい眠りに誘われてしまうのです。定期試験の前は入室制限をさせてもらってます...。
  • ☆ちっぽ
    20041126chipo とにかく、我が家最高最強のニャンです。 7月7日にクマかあちゃんから預かりました、可愛くってお利巧で、人の心をなにより判っています。ワイルドストロベリーといっしよのちっぽちゃんです

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