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2005年9月

2005年9月28日 (水曜日)

元気玉

快復しました

 コチビちゃん、昨夕フット先生のところから連れて帰る時、キャリーの中で鳴きました。
 “ア、声がでる”。
 そうなのです、昨日連れて行くときもそうでしたが全然なかないのです。それが心配の一つでもあったので声がでるのはいい兆しと思いました。
 15時ころすこーしフット先生のところでAD缶を頂いたというので8時頃流動食をつくり注射器でお口にいれたところ昨日よりもアムアム度の感触がいいのです。それではと10時過ぎにミルクをあげると綺麗に平らげてくれました。人間もそうですが生きる=食べる事、正直空っぽのミルク皿をみてようようホッとしました。
 今朝、キャリーを開けると戸口で待っています、そして抱き上げるとご飯の催促のうでちゅぱをするではありませんか。早速大好きAD缶をあたためてあげるとぱくつくようにお皿に向かうコチビちゃん。
 “いつもの朝”です。
 そして、毎度の一口分残し。ココチビは洗ったごとく綺麗に嘗め尽くしますがコチビちゃんはいっつも一口分残すのです。そしてその一口分を頂いちゃうのはココチビちゃん。今我が家のニャンずのなかで一番の元気モノ、ダントツやんちゃりかナンバー1!!
 そんなわけでココチビちゃん別名“元気玉”。
 この元気玉、ただいま気に入っている遊びは“なんでももぐります!!”
 敷いてあるものならなんでも顔を突っ込んでもぐってしまうので、足元が危なくて仕方ありません、困った遊びに熱中してくれるものです。今朝も朝ごはんを食べ終わりチビニャンずが解き放たれるとすぐにココチビちゃんはコチビちゃんを誘って台所のイグサマットもぐりを開始。コチビちゃんはびっくりしたようにそんな元気玉を見つめていました。“ここちゃん、なにしてるの??ソンナトコ、もぐって。”と言っているようでしたがココチビちゃんのパワー、炸裂。イグサマットから追い出されると次から次へともぐれるものを探して大暴れ。ついでにメリーの部屋で網戸・クラッシュ。いやはや、コチビちゃん復帰に大喜びのココチビちゃんですが、まだまだそんな元気玉の相手が出来るほど快復はしていません。
 “今日までこっちでイイコしようね。”
 ちょっと不満そうでしたが、コチビちゃんは大好きヒツジさんといっしょにケージの方にお引っ越ししてのお留守番です。投薬は続けなくちゃいけないし、今週までには元気になるでしょう。
 ちょっぴり痩せてしまったコチビちゃん、丸々元気玉炸裂のココチビちゃん。
 ちびにゃんのいる風景は楽しいけれど、気の抜けないものです。

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2005年9月27日 (火曜日)

お熱です

コチビちゃん大変
 コチちゃん、元気ありません。
 ミルクの用意をしているだけですっ飛んでくる子が全然見向きもしないでだるそうにしています。
 右足も腫れて痛いのか歩くのがぎこちなく痛々しい。
 おトイレも連れて行ってあげるときちんと済ませますがちょっとふらふらします。
 メリーが小さい時に熱を出した時のことを思い出しています。
 私もですがメリーも発熱に弱い。
 37度過ぎるともう、よろよろになってしまいます。
 コチビちゃんの目がまだドンヨリとはしていないので少しはほっとしていますがメリーがマイコプラズマ肺炎を発症した時、次第に目に力がなくなっていくのが恐かった。入院するの嫌がりましたが1週間ほどの入院で落ち着きましたが、ドンヨリしてしまった目に次第に光というより生きるという力、パワーが帰って来たという実感がなにより本人もでしたでしょうが親としてもホッとしたものでした。
 どうも、ここちゃんとじゃれあってかまれた傷から感染症を引き起こし高熱が出ているようです。
 でも、幸いミルクとAD缶の流動食はお口に入れさせてくれます。1ヶ月前に戻ったみたいですが、小さなだけにひやひやしています。今朝、熱はすこし下がったようですが、脱水気味でもあるので点滴をしてもらう為フット先生のところに預けてきました。
 “出来るだけ早く帰るからね。”
 ココちゃんはコチちやんがネンネしているのがつまらなくて隙さえあればキャリーに乱入を試みます、“何寝てるの??早くアソボ!!”
 メリー溜息ついて一言。
 “お前だけ元気でもなぁ...”
 コチちゃん、はーやくげんきになぁ~れ…。

2005年9月25日 (日曜日)

ツレヅレナルママニ

ヨシナシコト
 しんぱいなこと、山ほど心の内に溜まってしまいます。
 こちちゃん、どうしたの?大好きなミルクも飲まないで。朝は元気一杯だったのに。カーカン、とっても心配です、右のあんよが痛いだけなの?明日すぐにフット先生に行ってみて貰おうね。
 HANAちゃんのことかな、体調の原因、ただの深読みだといいのだけれど。
 ああ、10月か。物入り第2弾の月。金策頭痛いです、宝くじ、当たってくださーい!!ばあにゃんの手術費貯めなくちゃ...ぁぁぁぁ、毎月毎月腹も立つ、イライラする、泣けてくる、台所事情です。
 動物愛護推進員の事例研修会は良かった!
 でも、なんだ、あの講演。
 ああいう頓珍漢お門違いの愛護精神振りかざす人たちがいるから真剣に頑張っている人たちが困るのではないのだろうか、氏より育ちと言うけれど人に聞いてもらえるようタイトルどおりに話せないってどういうことかしら、う~む、『アイドル』の底の浅さというか教養・教育のなさにただ呆れて引いてしまった。本人のあの場の空気わかったのかな?
 明日、レジュメお願いしなくちっちゃ、地震のことなんかとても参考になる。是非、お願いして送っていただこう。
 こちびちゃん、心配で上の空。
 ミルク飲んでくれるとホッとするんだけれど...。


 

2005年9月18日 (日曜日)

チャーリーとチョコレート工場

居心地の悪さ
 10年ぶりにJ.デップが来日。
 もともと原作は児童文学と言う作品ですが作ったのがティム・バートン&J.デップと言うタッグですからね、期待するなというほうが間違いです。で、製作されるというニュースで原作を読んでみました。原作者・ロアルド・ダールへの評判も耳にしていましたからこれを機に呼んでみるのも、と思ったわけです。
 今、この作品は翻訳者が柳瀬尚紀氏になったものになっていますが私のは田村隆一氏の言わば旧訳、というべきほうですが、読んでいてなんというのだろうか、面白いのは面白いのですが次第に目がうつろになっていくのであります、つまり、その...居心地が悪いのです。
 今一、作者の世界にのめりこめないとでもいうのでしょうか。
 いつまでたってもチャーリーの傍に居ることが出来ない、同化しきれないもどかしさとハダにあわないものがありましたが、読み終わったときに失望はありませんでした。むしろ、この居心地の悪さは返ってティム・バートンという監督の趣味にビタッとあうのではないか、とても出来が楽しみになったのです。
 向こうで封切されなかなかの評判であること、そして予告もそんな私の期待を十分引っ張ってくれるものでした。日本で封切され何人かの方々の感想を見て一層期待は“むくっりむくむく”。
 17日、吹き替えで見てきました。最初ワンカ氏の声に“あれ?”どうもいつもの平田氏ではない?そう、違うんです、そのせいか少々気持ちがそがれてしまいました。けれどC.リー氏はサルマンと同じ家弓氏...嬉しかった!
 で、肝心の作品ですが。
 可も無く不可もなく、といえばいいのでしょうか。
 色彩的にも趣味的にもティム・バートンの世界にJ.デップがバッチリはまり込んで原作の趣が十二分に生かされていると思います。ただ、強いて言えば父との葛藤の部分はなくても良かったのではないか、と思うのです。ティム・バートンにしてはちょっと説明のしすぎになっていたように思えるのです。なくしてしまうとリー氏の登場もなくなってしまうので私個人として痛し痒し。指輪物語・王の帰還CE版にサルマン=リー様を削除したのは原作でも登場し重要なシーンになるはずにも拘らず削除してしまったという本当に頂けない絶対にあってはならない編集でしたが事、本作品においては原作にはもともとないシーンでもあるわけですし、返ってワンカさんがフツーのファーザーコンプレックスの変な人になってしまっていてワンカ氏の魅力が翳ってしまいました。
 それにしてもJ.デップという俳優はなんという人なんでしょう...。
 ネバーランドのバリー。
 POCのジャック・スパロー。
 そしてワンカ、作品に溶け込み同化しきってしまうそのすごさはなんていったらいいのか..何がしの何々、ではなく何がし=J.デップの何々になってしまっているのであります。
 次回作どんなJ.デップが見られるのか“ワクワク”させられる俳優なのです。
 子供に“パパ、変”といわれるのも余りに目の前にいるパパじゃない人が画面にいるという違和感がそう言わしめているのでしょうか。
 何に致しましてもJ.デップほどワクワクさせてくれる俳優はいないということであります。
 それにしても原作でも腹が立つ子ども達だったけれど映画だと尚の事腹の立つ親子連れであった..けれどあれが誇張に見えなかったのも哀しいな。似たような親子、JRに乗ればいつでも見られる日本。
 やれやれ...。

2005年9月12日 (月曜日)

選挙権

女性議員
  しゅうぎいんせんきょ、で変換したらわがPCは『衆議院占拠』とやってくれました。
 ま、衆議院と占拠の間に自民党、といれればよいのを既に判っていたとしたらスゴイモンです。 
 それにしても....。
 メリー君、初めての国政選挙でした。11日、豊田でのエコカーの大会があるので不在者投票で選挙権の行使を済ませてから行ったのですが『どう選べっていうんじゃい』と半ばやけ気味ぽい科白をはいておりました。
 『死に票にだけはしたくないもんな』
 たしかにたしかに。
 今回女性議員を擁立していろいろなこと言われていましたが日本の国会議員の女性の比率が悪いのは間違いない事実。同性としてある程度キャリアを積み社会的に頑張ってきている今回の自民党女性候補者は上手い所を突いて来たな、と言う感じを受けております。
 各局様々な趣向で投票結果を放送していますが、各党代表者へのインタビューを聞いているともう、愚痴というか八つ当たりというような雰囲気になってしまっている方がおります。
 『負け犬の遠吠え』を縷々メンメンと話す気持ちもわからなくもないけれど、そんなんだから今の有態になっているのだろう。
 どっちにしても増税はある、そして年金は少なくなるのは目に見えている。
 児童手当、なんていったって我が家の二人が児童の時にはなんの恩恵もなかった。
 高学歴の減税がなくなったりしたら、もう、本当に『大変の5乗』。
 サラリーマンをもっと大事にしないとあっという間にひっくり返されることを今回当選した方々、けしてお忘れなき様に。それも女性の働き手を、デス。
 バックフラッシュを裏で画策するより、女性が働いて子どもを生んで育てる環境を整えたほうがどれほど自党のためになるかをよーく、考えたほうがいいですよ。父親よりも母親の影響のほうが今の子ども達は絶対に大きいのですから。将来、安定した政権を続けたいのなら女性をどれほど大事にしたかがこれから大きいと思うのは私だけかしら。どっかみたいに『マドンナ』に全ておしつけてしまうのとは違いますよ。

2005年9月10日 (土曜日)

ブラックボックス

アメリカの観方、日本の観方
 今日は9月9日、重陽の節句である。節句の中でも一番重きを置かれたというが今じゃ古典専攻したものくらいしかわからない。お酒に菊の花を浮かべ菊酒としておのが長命を念じたそうな。
 空は確かに秋の空になっている。
 さて、NHK教育テレビだったとおもう。随分前に評判になった各国で製作されたドキュメンタリーをシリーズで放送をした中でBBCが製作した『ブラックボックス』と言うシリーズがあった。航空機事故の要因について天候・整備・機体・管制とメカニカルなものからヒューマン・ファクターに至るまで様々な視点で航空機事故は如何にしておきてしまったかを考察したものであった。ビデオに録画してあるがこのような質の高いドキュメントはさすがBBCだけのことはあると思った。アメリカでも、無理だったろう。シニカルな側面をもっているイギリスだからこそ作れたとおもう。
 先月12日は御巣鷹の尾根に航空機事故としては最悪の犠牲者を出し、いまだ日本航空の上にその罪科の烙印が置かれている123便墜落事故が起きた日だ、はやいものであれから20年がたった。
 20回忌ということで各局様々な視点であの事故を振り返ってドラマやドキュメンタリーを制作放送した。その中でTBSが製作したドキュメンタリーの部分の中で当時の事故調査に加わった方のインタビューがあり圧力隔壁について大変興味深い発言があった。
 つまりあの事故はあの機体だけが起こしえた特別な事故であったとアメリカ側が早々に指摘してきたことについてだった。
 事故が起き、当時同じ機体は世界中でどれほどの数が飛んでいたか、B-747型機、JAL123便の事故は単なる日本の一航空機の事故ではなかったのだ。ボーイング社ひいてはアメリカにとって世界中のB-747型機が飛べなくなってしまう危機を含んでいたのだ。エアバス社との競争は激化し、ボーイング社-アメリカとしてはなんとしても『一航空機』の事故にしなければならなかったのだ、『やられたと思いました。』
 結局あの事故の本当の原因はいまだ謎のままということになっている、ボーイング社は圧力隔壁の修理ミスを認めそれが大きな要因となってあのアクシデントになったであろう、ということになっている。日本においてNTSBのような大きな発言力と権限を持ち専門家を揃えた独立した国家的組織はない。鉄道事故である信楽鉄道事故においてそうした組織の有用性必要性が求められたが今もってない。マッハの恐怖のあの事故からそうした組織について言及され続けたにも拘らずない。事故調査委員会は、できた。でも運輸省の一組織に過ぎなかった、そして今も国土交通省の組織に変わりない。独立性と専門性が求められる組織である事は言うを待たぬが現実としては一組織にすぎない。
 ブラックボックスでも123便の事故はNHKのドキュメンタリーを使い金属疲労、そして人的ミスによるアクシデントであるという見方をしている。しかし、そこでのNTSBの調査官のコメントからは『一航空機』の事故という観方、というかアメリカ航空機産業のご都合のための圧力隔壁要因説というもの、という観方ではなかった。しかし、改めて今回のドキュメンタリーとそしてブラックボックスをならべて見ると同じ事故であるにも拘らず観方一つで大きな差があることに愕然とする。
 『一航空機の特別な事故』である123便の事故はボーイングの機体だから起こったとしてMDでは油圧系統配置を変更しなかった。機体部品製作時における不具合によって油圧系統が全て駄目になり操縦不能に陥り空港に不時着、生存者もあったが多くの命が失われた。
 123便の事故はボーイング社が早々に認めた『一航空機』の特別な事故ではなかったことになる。
 確かにNTSBが指摘したとおりに圧力隔壁が人的ミスにより金属疲労を起こしそれが大きな要因になったのは間違いないが、果たしてそれだけだったのか。もっと調べ詳しいこと細やかな原因を突き止めなくては『一航空機』の事故ということで幕引きされてしまうことはならなかったのではないか。NTSBという組織の力に対応するだけの組織がなかった日本は力負けしてしまったのではないのか。
 アメリカ航空機産業を揺るがしかねなかったあの123便の事故。
 政治が働いた、とは考えたくない。
 そしてトラブル続出するJAL、あの事故はJALにとって未だに頚木になっていたのではなかったのか。ミスっているのは元JASのせいだけにし責任をおしつけてしまうようなことでは収まるまいとは思っていたがよりにもよって8月12日に系列とはいえエンジンから火を噴き空港に戻るというトラブルを起こしてしまった。NHK・クローズアップ現代を見た時にまだまだトラブルは続くだろうなとは思ったけれど、よりにもよって...。
 TBSのドラマでもそんなものでしかなかったのかなと思ったことがある。音声は残っていなくともボイスレコーダーに残された声を記録したやり取りを見れば如何に123便の乗員がどうする事も出来なくなってしまった機体相手に踏ん張り最後の最後まで諦めずに乗客のために闘い続けたか判らなかったのだろうか。新聞でも読み改めて図解とともに柳田邦男氏の著作であのボイスレコーダーのやり取りを見たとき胸が苦しくなった。そして涙が出てきた。無念。無念というほかにどのような言葉があるというのだ。確かに字ずらだけでないほうが良いに決まっているが解析された文だけ見たって判るだろうに、と思ったが『そんなもんだよ』と事故の翌年生まれた息子に言われた。
 2005年、航空機のアクシデントが続いている、世界各国で。 
 JALもいまだに槍玉に挙げられっぱなしだ。
 一生懸命に頑張っている現場、それが結果に結びつかぬもどかしさが傍目でみていて辛くなる。
 頑張ってください、現場で必死にこらえているだろう人に伝えてもどう頑張れば良いというのか、言うだけ虚しいのも判っている。一度崩れかけてしまうと組織が立ち直るには崩れた長年の力よりもずっと大きな力がないと厳しい。全くのサラになるほどのインパクトある改革がないとなかなか目に見えての成果を見せることも難しい。
 今年は航空業界にとって厄年みたいだ。
 もう、インシデントもアクシデントも起きないことを願うばかりだ。
 今日、と書いたけれどやれやれ、10日になっちゃった...。  
 

2005年9月 9日 (金曜日)

世界遺産

ドレスデン国立美術館展
 すっかり忘れていたのですがはがきが来て思い出したドレスデン展への招待。行ってきました。18時30分ということで並ばなきゃいけないかな、と早めに行った所『どーぞ』と中にすんなり入れてくれました。よかった!
 スライド・トークを予約して音声ガイドをかりいざ展覧室へ。
 TBS・世界遺産で放送したのを見たこともあり、大変興味深い面白い展示になっていました。イタリア・フランス・オランダ、そして中国・日本・トルコ、6カ国の芸術美術学術がどう影響し合いドイツロマン主義へと開花していったのか、さほど大きな展覧会ではないがきっちりと仕上げられた展示になっていて久しぶりに面白い展覧会だと思いました。スライド・トークという企画も展示物について興味をそそるように仕上げられていて全体としてある意味『素人』にも楽しめるようになっていたのがなにより良かった。
 ドイツとの交流と言う事での企画だったのだけれど最近のミュージアムはグッズの販売にも力をいれているということはわかっていたのですが、なかなかたいした品揃え。
 アウグストゥス強王のローズカットのダイヤモンド装飾一式を見た後に琥珀のアクセサリーなどつい手が出そうになりましたよ。
 トルコの鎖帷子に剣とか武具もWETAじゃないけれど思わずKoH、そしてLOTRにヴァン・ヘルシングを思い出して
つい見惚れてしまいました。馬具もね。
 レンブラント・ブームということで随分レンブラントの作品を模した弟子の作品など購入したようですが、以前にレンブラント展にもいっていたのでその分、尚の事興味深さが面白さにもつながったのだとも思います。
 これを機に展覧会へも足を伸ばしてみるのもいいかな、真っ暗な上野の森を背に台風の余波の風おさまりつつあるなか帰りました。 
 
 

2005年9月 5日 (月曜日)

休み

休みというものは

 一応週休2日制ではありますが、好きで出歩く分にはどうと言うことはないのですが『用事』で出かけると“休み出会って休みじゃなくなる”訳で。今週もそんな週末となりました。もうどうしようもない場合はとにかくできるだけ一日で済ませることが出来るような日程にしてしまいます。
 ま、どっちにしたって家を空ければ家の仕事が出来ないのですから家にいる日は当然掃除洗濯に費やされるわけでまるまる好き勝手し放題という完全休日になる事はありません。土曜日、午前中はにゃんの御用で一走り。クマッチの膀胱炎にコチビの血液検査、そしてココチビのワクチン接種。帰宅後川崎へ壊れた食器棚を修理する為の蝶番を買いに行き帰りににゃんたちのご飯を注文。汗をかきつつ昼食抜きで届いたウッドデッキカーペットを寸法に合わせて切ったり張ったり設置のお仕事を済ませ、早めにはなりますがにゃんたちへのご飯を用意しコチビ&ココチビをそれぞれキャリーとケージに収容して少々押せ押せ遅れ気味ではあるが飛田給にあるアミノバイタル球戯場へ出発です。
 そう、この日は大学リーグが開幕なのです。わがピピン君の大学も2部残留を目指しT大との対戦で長いシーズンの始まりなのです。本人の口に言わせるととてもここにはかけないような暴言を吐きまくっていましたが“だから余計に謙虚に対戦したほうがいいんじゃないの?”とまたまた老婆心の一言。なんといっても天下のT大。たとえとんでもないような翻訳しても『T大英米学教授』のお名前付きゃ読者の迷惑・困惑なんざ平気の平左で出版社が寄って行くのか訳書が書店の棚にずいずい並ぶご時世は変りございません。それに一応六大学の一員で対抗戦チーム、応援団もチアガールもばっちりな上に在学生の数もそん所そこらの私立よりは多いです、『○っても鯛』ではございませんがやはり『凄い』のであります。
 試合中に知った事ではございますが先シーズンまでは1部のチーム。
 『うーむ、やはり○っても鯛』。
 あがっていたのか、緊張しすぎたのか、コイントスの段階でミスチョイスが響きピピンのチームは前半で20点差以上あけられてしまっていました。それでも後半挽回も夢ではないのですがどうにも最初に狂った歯車を調整できず完封負けを逃れる1タッチダウンを奪っただけで40点近い差をつけられ試合終了。最初から見ていたビル簿旦那は同じ1年生のご両親と一緒に観戦、なんとか一矢は報いたもののこれからの試合が思いやられます。
 T大。校旗をはためかせ応援団+チアリーダーを揃え人数もピピンのチームの3倍以上の面子が在籍。たとえ2部降格の憂き目をみようと1部で奮闘していたチームだけの事はありました。照明がつき夕闇迫る中での試合は見る側にはよかったですが負け試合のほうはなんともわびしさが増して参ります、隣の東京味の素スタジアムではJリーグの大歓声が響き渡っていました。
 試合終了後、監督さん自らのご挨拶を受け次回に期待を残しつつ帰宅した土曜日。メリー君が先にお祖母ちゃんの家から帰っていたのでコチビちゃん達にずっと閉じ込め状態の可愛そうな思いはさせずに済みましたが、好き勝手し放題の『休み』なんて夢のまた夢のものなんでしょうね。(日曜日は洗濯に明け暮れた一日でした)
 攣る足を 引きづりつつも 月曜日

2005年9月 1日 (木曜日)

9月になれば

9月です
 しま・こちびとミケ・ここちびで夏は過ぎぬ、でありました。
 9月です、仕事も11月のイベントに向けて本格化しますし毎度毎度の提出文書もねじを思いっきり巻きなおしてかからねば間に合わんぞ。
 この夏は何時になく注意力散漫気味に過ぎました、反省しています。
 なんとなく去年末の入院騒動を一つの頂点として体調芳しからず、ということは気力も今一と言う事になります。 言わずと知れた○年期、というやつでしょうか。
 あさっては残業の秋、9月の始まりに相応しく公開講座です。
 頑張った甲斐があって考えていた以上の人数が集まりそうで嬉しい反面緊張しています、無事に何事なく済みますように...。機関紙の編集も後はシリーズ物だけ。一応自分の分は終えたしそれはそれで一安心ですが、結局今週中に印刷所に渡せるんだろうか??それが問題。じゃないと又発送が遅くなったら監査に響く。
 9月です。
 ああ、またまたねじ巻き鉢巻締め直しの月です。
 チビにゃんたちのワクチンもやらなきゃいけないし、ポスターもつくんないと。
 のんびり・夏はおしまいということなんですね。
 

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鳥撮りです

お世話になります

My Nyans

  • DeBoomo=Zash 巨猫団入団!
    新メンバーとして許可されました 025
  • 巨猫団入団!!
    ☆我が家の癒しの権化@妖怪まくらぬし、くまっちが晴れて巨猫団の団員として認められました...。 今後ともご別懇に♪ 巨猫団。 くまっちのとても素敵な想い出になりました。 1_667
  • ☆ちびおでん
    oden その年は子猫の保護に翻弄された年でしたが、その第一弾がこの子でした。マンションの通路1階においてあったタイヤ(共用部分なのでホントは不法なのだが...)のなかで泣いていたのを私が保護せざるを得ない状況でつれて帰ったのが始まり、約一週間後に実家から持ち込まれた鼻気管炎の子、そして2ヶ月後に生まれたての3匹が排水管に投げ込まれ...結局9月に我が家には9匹の猫がいた勘定になるが、哀しいことに生まれたてのチビちゃん2匹は神様がお手元にお寄せになられしまわれた。新しいお家を探し始めたものの最初に保護した子はとってもナーバス、猫と飼い主になる方との試験期間もこの子には無理かもしれない、獣医の薦めにのっかって2匹を手放した寂しさに負け残したのがチビ・オデン。もっとましな可愛い名前を思っていたのにいつの間にかメリーが毛色などから『おでん』と呼んでいたのが定着、やれやれである。ただいま2歳、我が家のトラブル・メーカーである。毎日のように大好きなメリー兄ちゃんを困らせているしちょいちょいと隠れちゃ出す爪でストッキングの伝染被害増加中。さんざっぱら『あれ、いや。これ、いや』だが夜中にそっとやってくるチビちゃん、棄てられた子の心を治す事なぞできるものではないのだと改めて思う。『どーして、おにいちゃん困らせるの?!』今日もメリーの小言が聞こえています。
  • ☆通称・クロちゃん
    kuro クロチャンの本名は長いです、彼女が何かしでかすごとに名前がくっついて行きました。 “はげちょびっち・くろぷーすけぴー・たりりんぼまーる・かす”我が家最強にゃん、ちっぽと癒しの権化くまっちと兄弟とはとても思えない“不出来”な妹です。ちっぽたちはお腹に居る時から『モンプチ』などの高級カンカンで育ったのですが、諸問題が勃発、本当は避妊手術してクロちゃん達は生まれない予定だったのです。トラブルメイカーのためにくまっち達の育ての親代わりの方達が引っ越されてしまい、クロチャンたちも生まれてしまいました...。その後なんとかクロチャンたちのような事にならぬようクマかあちゃんは避妊の手術しましたが結局生まれた5匹の内里子にだせたのは『紋次郎』と名前を付けられた子とあまりの臆病とお間抜けに里子に出せなかったクロちゃんだけ。紋次郎も里親さんと連絡取れにくくなり元気でいるのかどうか不明になっています。契約書を取り交わす事を決意したのはそういうことからもあるのですが、なんにしてもクロチャン保護に当たっては結構大変でマンション自治会のメンバーとも一戦交えた事も。『野良なんか人に馴れるもんか』といわれましたがそんな事はありませんよ、自治会メンバーの一人であるピル簿旦那の帰りを心から待ちわびるのはクロチャンですから...。 ***2014年9月9日14時32分、16歳、右目した瞼にできた腫瘍により虹の橋を渡りました。
  • ☆みぃちゃん*********************2006年8月11日 肝嚢胞により死去、推定年齢15歳
    mie 三毛のみぃちゃんは12年も外暮らしをしていたしっぽの短いチイチャクて痩せた老猫です。面倒を見ていた方が引越しされてからずーっとそれとはなしに管理人の目を盗んでご飯をあげたりしていた。ペットクラブ設立を機に管理人さんに事情を話していつでも家に入れられるようにご飯をあげてなれさせたものの果たして我が家に来てくれるかどうか心配だった。老齢化が目に付きそろそろと思っていた矢先に子猫騒動で保護が伸びてしまったが冷夏と暖冬に救われた。しかし、東京も結構雪が降るんです、1度保護に失敗して様子を改めて見ていたのですが2月霙の夜、風邪を引いたのかよろけるように隠れ場所からでてきたのを見て援軍の息子二人を引き連れ有無を言わさず保護。しばらくはケージ暮らしをしてもらいましたが現在テーブルの下をわがテリトリーにして暮らしています。歯がもう抜けてしまっているのでお粥のようにしてあげいますが食欲旺盛。カリカリも食べたがりますがやっぱり丸呑みになるのでばあちゃんだけ別メニューです。多分12歳、ですから人間で言うと90才くらいでしょうか。目が余り良くないせいもありマンション敷地内でちんまり大人しく暮らしていたことが良かったのかも知れません。おしっこをあっちこっちにしてしまうので気をつけなきゃいけませんがペットシーツで済めばいい事。何にしても“長生きしようね、頑張ろうね..”です。
  • ☆ぎずも・ぐれむりん
    gizmo ☆ギズモ・グレムリン *********2009年7月1日。 慢性肝炎からの胆石と急性の膵炎により、手術後、急逝。享年10歳。 通称ギズくん、もしくはちゅーくん、は保護する前はどんな目に会って来たんだろうか。とにかく鳴けない、のどもごろごろしない、小心者というよりとにかく臆病だ。地震雷台風は大嫌い。すぐに情緒不安定になってしまう。くまっちに抱っこしてもらいなめてもらわない手落ち着かなくて寝られない。可愛い外見ではわからない彼には痛みが残っている。里親ポスターすら作らなかったのはギズモだけだった。まぁ、マンデに似ていたことも里親探すこともしなかった理由でもあるんだけれど。
  • ☆癒しの権化 くまっち
    *********2007年5月14日午前2時38分多臓器不全により死去 kumakun クマッチ君です。ちっぽとは同腹の兄弟ですがクマ母ちゃんがどうしても預けてくれず2年半ほど外暮らしを経験。ただし、幼少時お世話をしてくださった方にとっても大事にされたためとても性格が◎。その体格といいまさに癒しの権化でございます。セラピスト・クマッチの力は絶大。傍にこられただけでもの皆安らぎに包まれふかーい眠りに誘われてしまうのです。定期試験の前は入室制限をさせてもらってます...。
  • ☆ちっぽ
    20041126chipo とにかく、我が家最高最強のニャンです。 7月7日にクマかあちゃんから預かりました、可愛くってお利巧で、人の心をなにより判っています。ワイルドストロベリーといっしよのちっぽちゃんです

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