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イオレスの摘み草記

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    こちよ、こちよ、かわいいこちよ。 こっちゃんはね、ほんとうは“こちよ”というんだよ おかしいね、おかしいね♪

多摩川で勉強中

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    多摩川の川っぺりに越して随分となりました。 ベランダから見下ろす多摩川相手に写真の稽古を付けさせてもらっています。
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2006年1月

2006年1月31日 (火曜日)

単騎千里を走る

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夕方共通通路の柵にとまっていた“ラダガスト”

高倉健という役者

 『単騎千里を走る』を見ました。
 涙が何度か溢れました。
 でも、なぜ、泣けたのか今ひとつ自分でもよくわからないのです。
 帰る道々考えましたが、特に感動する所とか泣けるんだ、と決められる所もなかったのです。
 そして、一つ気が付きました。
 妙に納得できそうな落ち着きどころのある理由は『高倉健さんが泣いていた』。
 だからといって泣けたシーン全てに健さんが泣いていたわけでもないので、それが理由、にもならないわけで、やっぱり、今ひとつ判らないのです。
 病に倒れた息子の為に何かしてやりたいと息子がとりに行くと約した仮面劇『単騎千里を走る』を言葉もわからない、なにも手立てもないのに中国へ行きます。けれどようやくたどり着いたのに肝心の役者は傷害罪で監獄で服役中。日本人が中国の監獄で服役者の踊りを撮影するなんて、『アンビリーバボー』。人との付き合いが旨く出来ないばっかりに息子とも溝が出来てしまった高田さんはそれでも何とか自分に出来る事をとビデオを作ります。
どうしてこの中国に来たのか、どうしてその役者の踊りを取らなきゃいけないのか、必死に自分なりに訴えるビデオを作るのです。ものすごく大変で『手間のかかる』ことです。
 でも、それしか彼にはできない。
 面と向って自分はこーであーで、といえない漁師の高田さん。自分でも歯がゆくてでもそれだけしか出来ない自分のかわりに『謝』と『助』という文字をみせ、そのペナントのかげで泣くしかない。
 「高倉健さんが泣いている、健さんがないていいのかな、ないちゃっまずくない?まずいんじゃないかな、でも、泣いてる。」
 チャン・イー・モーという監督は「HERO」が初見参だった。
 映像の色彩と物量に圧倒されたが見終わった後「妙な」感動が残ったけれど、やっぱり只者じゃないよ、この監督。
 「とにかく高倉健さんを撮る」
 確かに。
 高倉健主演映画のなにものでもない。
 しかし、他の203作品の「高倉健」とはちがう高田さんの高倉健がいるのだ。
 指輪物語のアラゴルンのイメージは私にとっては高倉健だった。
 初めて読んだ時、壮年でアクション映画をつぎつぎにこなしていた高倉健、オーク鬼を次から次へとばったばったと切り倒し、死者の道を灰色の一行を引き連れてペレノール野の戦いに勝利をおさめて第三期の中興の祖。
 だが今あらためて老年に達した彼こそ、青年期の優雅さと壮年期の勇猛心と老年期の叡智と威厳がことごとく一つに交じり合ったアラゴルンの姿をどことなく映しているようにも思えるのだ。
 息子の死を知らせる嫁からの電話。
 中国奥地の赤い山赤い岩壁、そしてどこまでも蒼い空を前にカメラは高田さんの後姿を遠くに映す。
 それだけで高田さん、高倉健の胸中の悲しみがこちらにまで沁み通ってくる。
 音楽だって華々しくも変に哀しすぎもしないのに、じんわり、しっとり思いが隅々に伝わっていくのだ。
 ...なにがどうどれが感動した、というものはない、けれども、只者じゃない二人の力技に素直に参りましたと頭を下げる事ができます。
 204作品目の高倉健を撮ったチャン・イー・モー監督。
 「只者じゃ、ない」ことを肝に銘じました。
 

2006年1月30日 (月曜日)

ボーダーライン

いい風、悪い風、迷い風

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似てますでしょ?「もりぞーとくまぞー(っち)」

 その子によって持って生まれた運というものに違いはあるのだろうか。
 メリーは「先生」と名のつくものにはずれるということが無かったといっていいほど、「教師」に関して問題らしいものは起きなかった。しかし、ピピンは幼稚園に入園する時、とても素晴らしい主任の先生が病に倒れ、入園式に出席してくださったもののそのまま入院して亡くなられてしまった。メリーが引っ越しのため途中転園した時に本当に子供の事を考え親身になってくださった先生だったのに、ピピンはせっかく入園したというのに見ていただくことは無かった。そして担任の先生も次々と言っていいほど代わった。1学期にいて夏休み終わったら居なくなっていたりしたことも。そして小学校も本来1年生を受け持たれた先生はそのまま2年生ももたれるのに1年で代わってしまった。結局ピピンの学年は中学校卒業するまで変則な担任となってしまった。まったく、「教師」に縁がないといって構わないくらい、「つき」というものが無かった。
 小学校3年生の時前後は最悪だった。
 この担任、なにを見てんだ?、と思わざるを得ないほどピピンに対して過剰な期待と思い込みをしている割にはこの子について何を見、何を本当に知っていると言うのか、不信感を抱かざるを得なかった。
 この学年が引き起こした騒ぎというか事件への対処もこの学校ならそんなことは無いだろうという信頼を損なうに足るものだった。事件の当事者では偶然無かったが同じグループということで親は呼び出された。けれども、親が心配していることにはまったく気づいていず、ただ単に子供たちのしでかした不始末について言及するばかりの教師たちに何ゆえ高い教育費をはらってまでこの学校を選び通わせているのかと落胆せざるを得なかった。偶然居合わせなかったことくらいグループのメンバーを見ればわかる。では、学校側の対応はどうだったのか、と言えば『何もしていなかった』といっていい。なぜ、どうして、「学校中騒然の事件」騒ぎに至ったのかは完全に学校側の認識不足と子供たちへの目配りが学年、クラス担任、学校内で出来ていなかったことに起因していたと言うのに、騒ぎを起こした生徒と親を呼び出し責任の所在ばかりを追及したのだ。
 学校側にはそれとなく心配の向きありと言う相談をしていた親もいたと言うのに、である。
 後になって学校サイドは親に謝罪をしたとかしないとか聞いたが、この騒ぎによって他学年からも『札付き』と決め付けられてしまったピピンの学年は、兄弟関係も多かっただけに真相を知らない他学年からの蔑みや白眼視した言葉は他愛なく無邪気な子供たちの心をいたく傷つけた。無論、親のほうも傷ついたが、それ以上に子供たちの意識に深く植え付けた『僕たちは悪い学年』と言う想いは卒業するまでくすぶっていた。
 先生然り、学年然り、ピピンには『不運』が付きまとった。
 『不運』というより風向きが悪い方向へとばかり流れてしまうのだ。
 高校受験の時、つくづくと思い知らされた感があった。
 それは、ピピン本人にとっても。
 メリーの行った高校にピピンは行きたかった。けれどたった2年の間に推薦枠が一般入試枠よりも増えた上に子供の人数が少なく、多めに合格者をだしたメリーの時とは違い、子供の数の多かったピピンの時は少なめに合格者をだしたのだ。100人弱と300人。当然ながらピピンの必死の追い込みは届かなかった。
 第2志望もその年から女子採用する事になり偏差値が上がり学校側は当然ながら認めていないが男子校から共学へ移行ということで相当縁故関係が重視されたようだ。
 そして本人の口から『僕の時って大事な時にパパは居ないし、おじいちゃんも居ないんだ。』と言う言葉を聞いた時『不運ここに極まれり』と思わず嘆息してしまった。
  『おじいちゃんも居ない』
 メリーの高校受験のとき第3志望校受験の時、海軍として戦争に行きそして3度の大手術からも無事帰ってきたおじいちゃんくらい運の強い人はいないから受験日に付き添ってくれ、と頼まれ喜んで付いていってくれたおじいちゃんはピピンが中学3年、受験追い込み体制に突入した秋に容態が急変して亡くなっていた。容態急変の知らせにあわてて病院に駆けつけたピピンはこのまま学校休んでおじいちゃんの傍にいたいと言ったが学校に戻った方が良い、という先生の言葉に一時容態が安定したのをみて後ろ髪ひかれつつも学校に戻った。だから、1時間ほどで容態が悪化し亡くなったおじいちゃんの死に目には間に合わなかった。卒業式のとき、担任の先生は随分その時の言葉を気にされていた。『直後に亡くなられたんですよね..、彼に申し訳ないと思っています』と。なんどもなんども命に関わるような事態になっても元気になったおじいちゃんの死は、受験直前のピピンの心を不安定にした。
 『僕には運がない。』
 それと『ボクタチハワルイガクネン』。

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真冬と言うのに南向きのせいでしょうか、アップルミントの白い花が咲きました

 縁故もある、実力もある、で第3希望に受かったピピンはここでアメフトに出会い、素晴らしい仲間と先輩、先生にめぐり合った(全部が全部○ではないにしろ)。
 第1志望校に落ちて、落ち込みに落ち込んだピピンとその父は偶然第3志望校の校長先生とばったり出くわすことになる。受験塾がこの先生一人で学校の評価を変えるほど人格者であり教育者の先生に。
 両手を差し出し、まず、握手をしましょう、と先生はピピンの手を包み込みこう言った、
 「おめでとう、君が選びそして来てくれる事を僕は感謝しています、いっしょに学びましょう。」
 天の配剤、亡きじいちゃんの計らい、だと思った。
 ボーダーライン上のいるということは風の向きでどっちに転ぶか曲がるか解らない。良いほうに向いて吹いてくれればよいけれど、なかなか、そうは問屋は卸してはくれないものだ。しわも白髪も増えよう、衰えよう、でも、これまでの事を考えるとピピンの高校入学以来、ピピンにもまっとうな風が吹いてくれているように思う。本人の努力によって分相応の風が。
 本人次第でいい風にも悪い風にもなるということ。
 メリーだってこれまでは良かったけれどいつ逆風になるかもしれないのだから、やはり「やるべきことはやっておかなければならない」という真理は変わりない。
 もうすぐ2月。
 三寒四温、もうすぐ立春。どんな、春になるのだろうか。
 

2006年1月27日 (金曜日)

はるやはる

春遠からじ梅の花
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多摩川から見える富士山も真っ白です

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葦毛でしょうか、雪の中に一頭映えて走ります

共通一次試験から今は共通テストに名前は変わったけれど、実施する日程は、どうして決められるのだろうか。
毎年、と言うわけではないけれど東京に雪が降るのはとても珍しいと言っていい。何もそんな時に、と思わないではいられないくらいに『そんな日に』共通テストは組まれるものらしい。
 “受験生の皆さんは時間に余裕をもって気を付けて会場に向ってください”とラジオやテレビの朝の報道番組で まるで「常套句」のように言っているのを聞くと一体誰が日程を決めるんだろうか、思う。
 我が家では共通テストには関係なく終わったがこれからが受験シーズン本番だ。東京の場合、私立中学の受験は1月末から2月はじめにかけて実施され、10日から12日にかけて私立高校の受験が始まる。大学は2月始めから3月まで1次,2次と順次進められていく。
 兄弟や自分のときのこと、そして息子たちの時のことを思い返すとやっぱり、空は青空、冬晴れのいい天気だろうとなかろうと関係などなく「重くどんよりとした不安な緊張感」が立ち込めていた。
自分で受けた方がどれほど気が楽か、と高校受験のときにつくづく思った。受けないのだから親は精神的に辛いだけ、では無いのだ。無事に受験の期間行って戻ってまた行って、結果はどうあれなんとか体調100%とまでは行かずとも納得できるような態勢で試験に臨ませるには、それ相応の肉体的疲労が伴う。そしてその倍はある精神的疲労。精神的疲労度が高ければ高いほど肉体的にもきつさは増す。
 メリーの時、2月8日から始まった高校受験は2月14日の合格発表をもって終了したが考えればその期間のために小学校から塾に通いつづけて備えてきたともいえる。それだけじゃない。
 家庭内でもさまざまな問題が持ち上がり不協和音が生じたしそれぞれ、体調も崩したりもした。一家庭では済まず、私の親兄弟にも少なからぬ影響を及ぼす事にもなった。2月14日、合格が決まり、手続きをしに行くために鏡に向かった時一瞬何が起きたんだろうとおもった。確かに毎日鏡に向かい化粧をしていたのだから鏡を見ていたはずなのに、まったく気がつかなかったのだ。
 白髪。
 特に両脇の生え際。
 髪をとかすと驚くほど白髪増えていたのだ。
 思わず鏡を見直してしまったが、間違いなくたった1週間ほどのことなのだ。
 メリーが行きたくて行きたくて何とか偏差値上げようともがき苦しみ神経性大腸炎を引き起こすまで頑張った附属高校は我が家から遠く離れた東京都下の中央線沿線の学校だった。合格発表はまだ受験期間の真最中。1つ目は到底無理だと思っていたからなんとかなんとか受かっていて欲しかったが、メリーの番号はどう探してもぽっかり10名単位で抜け落ちていた。帰り本当に重い足をひきずって帰ったけれど涙が止まらなかった。メリーがかわいそうでかわいそうで神も仏も無いこともあるんだとなにか別なもののせいにしてそれにすがらないとどうしようもないほど落ち込んだ。電話でダメだったとなきながら母にいうと「どうするの、母親がそんなんじゃ、○○はまだ試験があるのよ!」とたしなめられた。私自身、正真正銘の受験は小学校と大学の時だけだったから慣れてなかったせいもあるかもしれない。
 結果としてメリーは偏差値70前後のMARCH附属高校に合格しそのまま大学へ進学した。ピピンは、というとメリーの行った高校に入りたくて受験寸前なってしゃかりきになったがそんなことで通用するはずも無く、第2志望まで不合格となりようよう、第3希望に合格した。ビル簿旦那も本人もかなり落ち込んではいたが、私自身はその結果に満足をしていた。兄弟同じところへ行く必要はないし、前年の10月に父が亡くなり母のことが気にもなっていたので実家に近い高校に受かってくれたのは父の配剤ではないかと思っていた。そして、ピピンはアメフトと出会い今に至っている。まさか、指定校推薦を取れるとは思っていなかったが。そんなわけで我が家では共通テストにはかかわり無く受験は終わったが今年妹のところが受験なのだ。一人っ子だけに日頃のプレッシャーに加わった受験の重さはいかばかりだろうか、なんとか希望校に受かってくれる事を祈らずには居られない。
メリピピが共通テストを受けずに済んだのか、それとも済ませたのか、と考えるとどうも子供も親もあの重さを回避したかったというのはあったと思う。
 メリーの高校受験では白髪。
 ピピンの時は視力、と間違いなく体力を衰え力は奪われる。
 あの鏡を見た日以降、体力の衰えは本格的に始まったのだと思っている。

2006年1月25日 (水曜日)

落下物注意

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コチビちゃんお気に入り、ピピンの防具、かくれんぼには最高らしい
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12月には満開になるんですが、今年は開花が遅れ気味、モグのクリスマス・カクタス

 ニュースで、昨年2005年はこれまでで一番暖かな年だったということです。
 確かに、今年は何年ぶり、というくらいの寒さが戻ってきましたが、これも『地球温暖化』の不気味さをじわっとひややかに突きつけられた気が致します。百貨店とか被服類関係業種にはお恵みの寒さにはなったみたいでそれはそれでよかったんですけれどね。
 暑い時は暑く、寒い時は寒くないと世の中やっぱりまずいわけですが、行き過ぎたもので無い事を願うばかりです。それはにゃん達にとっても同じ事。外暮らしのにゃんたち、わんたちが心にかかります..。
 今回の雪ですが、まだ白く残っています。
 特にマンション内はあちこちに残雪の山が。
 子供らが遊んで踏んで固めたものばかりなのでそうでなくても管理人さんたちにとっては降雪の際は始末が大変な北向き日陰、解けようはずも無く、今朝あたりはもう昔の冷蔵庫の霜取状態。あっちこっち凍り付いてますから自転車で道路にでるまで神経使います。
 昨夜ベランダに出しておいたまいたけとぶなシメジがだめになってました。
 なんで?
 と、よくよくみたらどうも夜に凍ってしまったのが昼間解凍してしまいだめになってしまったようです。
 せっかくベランダに飛び出てもにゃんたちも自主的に部屋に戻ってまいります。クロチャんなぞ、あまりに冷たい床にパニックってベランダ右往左往する始末。
 そんな鬱憤がたまっているせいでしょうか。
 ハカイダー・3チビニャンズ、暴走・爆裂度日に日に増しています。
 最近のお気に入りの遊びは冷蔵庫上でのKニャンに戸棚頂上追いかけっこ。
 どすっ、という嫌な予感に見に行くと戸棚の上にしまっておいた『香蘭社』の大皿をいれた箱が..。
 上を見るとここちゃんが『じゃまだったのぉ~』といったお顔で覘いてました。
 幸いマットの上に落下し梱包をしっかりしていたので破壊されていませんでしたがメリー君の陳情ではありませんが『頭上注意警報』を発令しなくちゃなりません。
 さて、根本的対策は?
 う~む、でございます。
genkouhan
何とかしなければ..
 

2006年1月21日 (土曜日)

カラズラス行

指輪物語の原画
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東京は朝から雪、です
 とんだカラズラス行になってしまった今日。
 夜のうちからでしょうか、朝起きた時大分真っ白になっていました。
 やれやれ。
 指輪物語・寺島龍一画伯の挿絵に引かされて高崎まで見に行く事にしたのはエルフ語講座の時でした。まさか、ホビットたちと同じ目にあうとは思いませんでした..。
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待っている間かわいいお客さんが雪の中見送りに来ていました

 指輪幽鬼はどーとでもするんだ、と改めてシミジミ。我ながら、ね。
 第12回絵本原画展・私たちが選んだ「評論社」の本
 2006年1月21日(土)~1月31日(火)会期中無休
 高崎シティギャラリー 開館時間10:00~18:00(入場は17:30まで)

 ココでの目玉は、なんと言っても指輪物語の挿絵原画です。
 他の展示もきちんとした視点で選ばれた素晴らしいものばかりでした、特にルーシー・M・ボストンさんの『グリーン・ノウ・シリーズ』にかかわるものは私個人にとって懐かしい『まぼろしの子どもたち』への思いを書き断たせてくれましたが、やはり寺島さんの原画は圧巻でした。また現評論社社長の手書きの思い出はとても面白い資料。
 留学していた時『君の英語はひどいから子どもの本を読みたまえ』と言われて読んだのが『ナルニア物語』。あまりに面白かったので日本にいる母に是非版権を取ってくれ、と頼んだが岩波書店のほうが先にとってしまったそうな。ナルニアは駄目だったけれど指輪物語は他のものと版権が取れたのだという。展に相応しい面白いエピソードだ。

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出席している子どもたちに対して『?』が連続した開会式典、幼稚園前後のこどもたちに『とっても楽しいことが始まりますよ』といってオーボエでカザルスの鳥の歌はちょっと、むずかしすぎると思いますけどね..
 
 
 新幹線で1時間。
 来た甲斐はありました。
 とくに赤表紙本の箱カバーに描かれたカラー版。
 紫の使い方や原寸大の挿絵原画は原画ならではペンタッチがよくわかり雪の中、新幹線で1時間かけてきた甲斐は十分です。重装備でついた高崎は確かに寒かったけれど、雨のあの字すらなく朝東京駅までの重装備がちと、小恥ずかしかったくらい。それでも帰る頃はなんとなく雪の気配のあり一刻一刻の天気の変化を見る想いでしたけどね。
 行きはよいよいでしたが帰りは高崎でてからすぐに雪が激しくなり大宮あたりでは周りが真っ白で見えないくらいでした。なんだか、北から帰ってきたのにまるで行くようでした。
 所でこの展覧会を記念してLOTR3部作を3日にかけて上映会を行うことになっているのですがSEEのほうなんですよ、これが。23日の13時から旅の仲間と二つの塔、24日に王の帰還に旅の仲間、25日に二つの塔、王の帰還と言う予定なんですけれど開会式の挨拶で『全部見る人がいるかは判りませんが』と言ってましたけど、絶対にいる、と断言しちゃいますよ。でも、見るなら高崎の一泊しないと...。
 とにかく、31日までやっていますから是非、寺島画伯の挿絵見る価値は十分あります、断言します。
 時間があれば是非、高崎へ!!です。
20060121c
久しぶりに見たフロドの旦那、懐かしいね

2006年1月15日 (日曜日)

厳たる建前、余分と無駄

箒少年、そして名探偵と彼の友
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ホテルの窓から見えた広島の海、遠くきらきらと輝いていました

 箒少年、ハリーポッター最新上映作品をあの、女史の“字幕”で見てきました、金曜日。
 毎度のことですが吹き替えを見ないとなんともいい難いところはあります。
 けれども、あの監修付き“字幕”の範囲内でもあの作品へのいつもながら疑問とそしてなによりあの舞台を存続させている一番重要な呪文への安易さに辟易とするのです。
 ハリーはかわいそうな生い立ちであり今もって学校以外の生活の場では虐げられた存在だということを考えても、彼の性格は“スパンク一発”どころではないです。なのに、あの学校における特別待遇、というよりは特殊待遇はますます彼の偏向的性格を助長させているように考えざるを得ないのです。トールキン教授ではないけれど、“妖精物語について”を読み、そして講義を聞くにつけ、あの呪文に対する安易さは呆れるくらい“禁じ手”やり放題にしか見えません。原作者は素晴らしいストーリー・テーラー、ナのかも知れませんが本質的にあの作品はトールキン教授のいう真なる“ファンタジー”ではないことは間違いのない。世界中のさまざまなファンタジー的要素をごちゃ混ぜにごった煮にしてはいるけれども、どれもこれも“インスタント”なのだ。だから、原料をそろえそして下ごしらえも自分でしっかりとこなし時間をかけあくをすくい丁寧に丁寧にシェフ自らが創り上げたコンソメスープとお湯入れて出来上がるカップスープほどの差がある。
 話の途中に垣間見えるのはまだ許せるが一番の見せ場であり重要なポイントでそれをやられてはあまりに“せこすぎは”しまいか。
 使ってはいけない呪文がかくも簡単に使用され、命が平気で奪われてしまう。
 原作と映画とは別物になるからこそ見る事ができるのがこの作品なのである。
 “ナンデソウナルノ???!!!”
 で、ある。
 と、いう気持ちを秘めつつ、今日はシャーロキアンとしての集いへ出かけました。
 ドラマの最上級としてグラナダ・ホームズ、そしてポアロがありますが、年末の“赤富士鷹”2作はなかなかの意欲作だと認めるのはグラナダ・ホームズへの意欲に愛照らせるものがあると感じたためであるが、メーキングみてあきれ返ったのは正月の八犬伝であった。ワダエミの衣装は案山子が着た方がまだよかった。
 衣装が泣いてるよ。
 戌年でしょ?幾らなんでも八房が出てこない八犬伝は八犬伝じゃない。なんという馬鹿馬鹿しさだ。
 CGで護摩かしゃいいのかい?
 と、いってもごまかしも出来てなかった。
 それに比べ“ミタニコウキ脚本”の歳三最期の日は言葉と言葉が格闘し相和し実に見事な90分であった。
 受信料、払っている甲斐があるというものです。
 グラナダ・ホームズも然り。
 隅の隅まで無駄であろうとなかろうとしっかりと余分な事まできちんとしているのだ。
 あの余分さと無駄さが凄さなのだ。
 だが同じBBC製作であっても新しいバスカービルの犬はすっきりとして無駄が省かれていることであのロンドンの町がなくなってしまっている。19世紀末のあのロンドン・大英帝国という舞台ではなくなってしまっているのだ。新しいから良いのではない証拠。
 “ドクター・ワトソンの大冒険”。
 そう改名すべき代物だ。
 シャーロキアンでありたいと願い続けている者として、これまでも様々なホームズを見てきたし読んで来たがホームズ物という見方だけでなく、ドラマを作るうえで最高峰の一つとしてあのグラナダ・ホームズシリーズは見る側をしっかりあの世界に連れ込みそしてその空間にともに存在させてくれる極めて珍しく、そして“中つ国”だといえると思うのだ。
 『ああ、あのくらいのものは2年に1度でいいから作ってくれよ』。
 日本の民放では望むべくもないか...NHKならまだ望みはあるかもしれないけれどね。
 
 

2006年1月12日 (木曜日)

早、日々過ぎぬ也

いろいろ、ありました
20060103-1ライスボール観戦


 正月3日。
 この日も箱根駅伝で起きました。
 私が起きるとにゃんずも起きる。
 ご飯の用意も早々にして、なんて思っても『正月気分』って奴ですな、なかなかそうそう気持ちのほうが急かないのです。こいつぁ、ちったぁア、困った事になるんじゃないの?、なんてわかってても気持ちのほうがそれなりに乗らないことがありますがあの日はまさにそれ。
 8日の49日法要のため広島へ行く新幹線の切符の変更にライスボール観戦、そして駒込に挨拶とそしてメーンイベント・ビル簿旦那ホールイン・ワン厄落とし焼肉食事会と2日のんびりした分どーんとスケジュールがぴっちり、挙句にこの日にあの大河ドラマ初続編『新撰組!―土方歳三最期の日』を放送するんです!!
 ああ、あのドラマを見るまでは結束信二さん脚本・栗塚旭・島田順司・左右田一平が私の中では新選組だったんです。ま、近藤さんの思惑にちと、難ありではあったけれど鶴田浩二・有川博・栗塚旭・左右田一平もそれなりに心に残った。だが、あの大河のキャスティングの妙は一体どうなっているんだ!!と絶叫したくなるほど(..実際していたかも..)、ドンぴしゃり。芹沢鴨の佐藤浩市なんて信じられない大技に完全に度肝を抜かれました。
 藤堂平助の中村勘太郎なんて感涙物。
 そしてなにより山本くんの土方に香取君の近藤さん、もうあいた口がふさがりませんでしたね...。
 ミタニコウキと言う脚本家、只者にあらず、を心底思わざるを得ませんでした。
 『新選組』のファンだ。
 脚本家がファン、ということはそれだけ見ているこちら側が何を欲し何をどう描いてほしいかを知っていると言うこと。事実、あの放送された1年のなんと早かった事か。ああ、もう、油小路か..とつくづく哀しくなったものだった。こうあってほしいと願ったキャスティングだっただけに余計に辛かったそれぞれの回、面白すぎた回、どの回も今までにない大河、だった。
 なのに...録画したは良いが何時みられることになるんだろ..という危惧は見事にぶち当たり、ようよう見られたのは11日になってからだった..。
 で、話はライスボール。
 ファースト・ダウンのとられ方が悪かったね、メリー君の母校。
 最初の躓きが最期まで祟ったけれど、順当に社会人が勝ってそれはそれでよかったと思う。
 しかし、である。OBなんて皆同じようなものだよ、とビル簿旦那はいうけれど、駅伝の応援から駆け戻って来た応援団気の毒だったな..、特に下級生。上は上だし、その上も上だから逆らえないし、結局右往左往しつつもなんとか自分達の責務を全うしようとしていた姿に拍手。反対にOB、アルコール入れすぎ騒ぎすぎ、もう少し下級生に花を持たせても良いんじゃない??
 ま、メリー君がいるから母校の応援が出来るわけで、ピピンがやっているから家族で行く気にもなった今年のライスボール、元旦にビル簿旦那の同僚の方に言われたけれど家族打ち揃って応援とか観戦というのは珍しい事なのかもしれないな、これもビル簿旦那と駒込のお祖父ちゃんのおかげかな?
 試合後、駒込の実家へ『さぁ、焼肉だ』である。
 総勢7名でごひいきのお店へ。
 いやぁ~、やっぱり食べますねぇ..その上お勘定は保険が効くと言うので普段は注文しない(特上)なんていうのが目の前に揃いまして、甥っ子君ではないけれど『こんなの食べた事ないよ』は右に同じ。
 楽しい厄落としとなりました...

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ぐっすり、ネンネのココチビ・コナツちゃん

 4日は母のお供で妹のとこの“受験生”のために湯島天神へおふだを貰いに参りました。
 3が日過ぎたとはいえまだまだスゴイ参拝の人たちです。
 出所が母なんだから喪中でも大丈夫だよね?とお札を頂きに並んだ社務所をみると飾りが偶然、甥っ子君の干支。こうなりゃなんでも縁担ぎ、いい兆しと願いこめて絵馬を奉納してきました..お供のお供のメリー君も院に入れるようにとおばあちゃんが願いを込めてくれましたが、毎度受験は胃の痛むものです..。
 5日は主婦健康検診。
 胃のレントゲンもオプション・別会計でつけて貰ったのですが..毎回バリウムには祟られる。
 飲んだ下剤がきついのか。
 偶然会ったメリー君の学友のママに久しぶりにあったけれどお腹が気になって冷や汗がでそうになってしまった..。その上、婦人科では再診だと...紹介状もらって気がずぅ~んと落ち込む。
 なんとかかんとか、無事にたどり着いたけれど、その後は....。
 参ったな....。
 6日、早々に再診してもらいにまたまた病院へ。帰りに映画でも、なんていう気も前日の下剤のせいで全然起き様もなく、痛むお腹抱えて“箒少年”どころじゃございませんでした。
 7日は、そう、エルフ語講座です。
 広島行きの旅姿でいざ、渋谷です。
 ちょいと先生遅れましたが、この講座を逃すなんてとても出来ません。
 これぞ“我が老後の楽しみ”ですからね。
 毎度のパプも少しだけだけどご一緒できたし、アップルパイは残念ではありましたが無事機上の人となり広島へ..次の便が雪の関係だと思いますが欠航になってしまい一つ前のにしてよかったです。
 その夜は広島ならではのおいしいものを頂きましたが今一お腹が..バリウムが祟り続けています。明日は中華料理だけれど大丈夫だろうか..。
 49日の法要も無事滞りなく済み、一区切り。
 形見分けの着物と帯を目の前にして、一区切り、というより喪失感と不可思議な思いが交差しました。
 改めて頂いたこと自体が “思いも寄らぬ事”でした。
 暮れ近くに発熱ER行きをしたピピンと反対に私とメリーは下降気味であった体調が9日、ますます下降線をたどります。
 10日、親子して病院へ。
 メリーは点滴までされちゃいました。
 で、結局この日発熱してしまい翌11日は完全に“休業”。
 だというのにピピンの奴...ひと悶着ありまして..ますます体力減少..。
 ココチビちゃんには『春』が来るし..はぁ~。貰い手いまだ見つからぬまま来週辺りフット先生に連絡しようかと考えております。
 嗚呼、こうして日々過ぎて一月、1年といってしまうのでしょうな...やれやれ...。
 
 

2006年1月 2日 (月曜日)

ゆきやこんこ

こんな日は
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寒いけどここちゃんとこちびちゃんにははじめての雪の日でした

 寒いです。
 天気予報では待望の雨、ということでしたが思うほどは降りませんでした。
 それでもちらりほらりと雪も舞い、少しはカラカラ空気が湿ってくれることを願うばかりです。
 毎朝7時を廻るとココちゃんが起こしきます。
 たたっとやってきて寝ている私の上に乗るのです。
 目覚ましがなって起きて来ないと起こしにくるようです。
 こちびちゃんは気が付くとチッポと一緒に私の枕の横に寝ています。
 ちびちゃんはすぐ傍にあるPCテーブル上からじっと待っています。
 そんなにじーーーっと見られたり乗られたりしたらとてもじゃないけれど寝てられませんやね..。
 でもいつもは“もう、ちょっと..”という私が3にゃんぐ達に起こされる前に起きたものですから“あれ?”と言う顔をしていました。そう、そうです。今日は箱根駅伝です。スタートは午前8時。寝てはいられないのです。
 大手町をスタートしたと思ってにゃんずたちにご飯をあげているともう田町なんかすぐに過ぎてしまいます。
 沿道の応援に出かけるなら、選手たちと一緒にスタートして行かないと折角行っても人垣で見えないことになってしまいます。広報車がくる30分以上前には一番近いコース・第一京浜道路についていないといけません。
 今朝の冷え込みと天気にテレビでの応援を早々に決めてしまいました。
 メリー君の大学も一寸前ほどではありませんが出場していますし、今年はどういう理由なのかよく判らないのです、と教授がいうくらい“どういうわけか”双方ライバル校になっているM大学も出場。正直どうでもいいことなのではありますが、負けたくないのです!と保護者懇談会の時に力説していた教授のためにもできれば勝ってほしいものです。
 心配なのはお天気。
 案の定、途中から雨、そして箱根は雪。
 それでも新記録を出す選手もいるわけで『スゴイ』の一言に尽きます。
 往路ではなんとかメリー君の大学は教授の願いが聞き届けられたのか、M大より一つ順位は上になりました。でも明日の結果が全てですから、5区の選手がとても後ろを気にしている様子が良く理解できます。
 明日、箱根雪が積もっていないと良いのですけれど、復路の全選手の健闘を祈るばかりです。
 そしてこんな日は、当然ですがにゃんずたちもよく寝ます。
 それぞれの好きな場所で、しずかな新年2日を眠って過ごしていました。
 ラグビー全日本大学選手権大会準決勝も関東学院が同志社に、早稲田がメリー君の母校をしゃれじゃないけれど『ボコボコ』にして勝ちました。茜と黒のジャージー大好きビル簿旦那もあまりの点差に呆気にとられていました。
 『立命館よりはいいか...』
 明日はライスボールでメリー君の大学を応援にいきます...復路はどうなるのかな?
 そうそう、明日は新撰組!です、歳さんです、ビデオでしっかりとっておかなくっちゃ...
 3が日はこうしてああしてとあっという間にすぎていくようです..。
 

2006年1月 1日 (日曜日)

今年も....

2006年事始
new_year_2006ekiden
2年ぶりの応援です、結果は残念でしたが

 2006年元旦です。
 昨夜の自治会主催、カウントダウン・パーティーが終わって後片付けが済み“寝ます!!”となったのは既に新年になって1時間半以上が過ぎていました。
 2年ぶりにビル簿旦那が勤めている会社がニューイヤー・全日本実業団駅伝に出場するので、どういうわけか“当然”のように応援に行く事になっている我が家、一応は元旦の朝の行事は簡略化してもやらなければなりません。いつものように次の朝が来るだけと思うとため息もでますがこれも年に1回のことです。心新たに“奮闘努力”です。
 我が家のお雑煮は鳥だしベース。
 青味は切り三つ葉、かまぼことなると、玉子焼きに鶏肉と言う実にシンプルなお雑煮です。
 今年は会津のこづゆも初めての割には上手く出来て加わります。
 メリー。
 “初めて、ということはへたをしたら全て廃棄と言う可能性もあったわけですね?”
 “はい、間違いありません、そのとおりです。”
 廃棄処分になるような代物に出来上がらずほっ。そしてちょっと誇らしくなり来年はこづゆ専用の器がほしくなりました。
 おせちは銀座4丁目スエヒロ。
 おいしかった、といいたいのだけれど今年初の盛り付け済みの冷凍おせちにしたのですが、到着してすぐに外に出しておいたのですが、外も寒かった、解凍できていません(トホホ)。
 メリー君
 “ようするにパーシャルしていたわけですね?”
 “残念ですがそのとおりです。”
 さて、喪中ではありますが若水ということで昨夜のカウントダウンで頂いた樽酒を使って北里大学オリジナル調合のお屠蘇を作りました。調合されているものを見ると風邪の処方によく出ている材料が使われています、味もどこか漢方ちっく、どうかもう、風邪+インフルエンザに罹りませんように、です。
 いつもは電車・浅草から東武特急で行くのですが、今回は車です。
 にゃんず達の猫員数を確認後、集合場所でもある群馬は太田営業所に向けてダウンコートを抱え8時予定がおくれて8時30分になってしまいましたがとりあえずビル簿旦那運転で出発です。
 昨年は予選落ちで久しぶりのゆっくりした元旦の朝となったのですが、やはりどーも落ち着かないものがありました。2年ぶりの出場、やっぱり嬉しいものです。ラジオの駅伝中継を聞き始めて初めて選手と社名が呼ばれびっくり!!
 1区は信じられないほどの上位でしたが...。
 太田について順位を聞くと2区で既に20位代..うーむ、予想はしていたんだけどね..。
 営業所では準備万端整えて待っていてくれました。
 営業所も中味がとても奇麗に改装され、のぼりも旗もグレードアップされテレビではなく大画面プロジェクターでレース中継が見られるようになっていたりと2年ぶりのブランクを思いました。応援にはもう一つの目的があります。それは...。
 “社名のPR”です!!
 いかにテレビ中継に露出できるか、なのです。
 どうしたら社名ののぼりや旗が映るか、大きな使命でもあるわけで今年は人員不足ではありますが3箇所に分散しての作戦に。会社が地元だと人海作戦でも物量作戦でもとれましょうが予算的にも最小で最大を狙わなくてはいけないのです..智恵を絞るしかありませんが、これがなかなか難しい、ここぞ!とのぼりの幕を張って待っていたらCMが入って全然映らなかったとか選手のアップでぼやっとしたバックに成り下がってしまったとか..、これまでなんど悔しい思いをしたことか、で、3箇所作戦となったのです。
 それぞれ幟と旗を持ち各自の持ち場へ。
 それに加えて私は選手の写真を頼まれていて緊張気味。ココの所デジカメばかり使っていたし久しぶり一眼レフ、上手く撮れるだろうか..撮れなかったらどうしよう...ドキドキしつつ撮影場所を物色して待機すること約40分。やがて中継へりの音が聞こえ始め広報車や警備車両などオフィシャルがやってきてついに白バイです、先導の白バイに続いて選手が。
 一度応援に行かれた方なら判ると思うのですが、彼らは速い!
 来たと思うともう後ろ姿を見送る事になってしまうのです。
 その上先導白バイと重なってしまうと、ただ涙。
 シャッター切るたびに上手く撮れますように、とおまじないのようにつぶやいていました..。
 そして、来ました!
 と、ありゃ、3人一緒でうちっ側走ってる!!
 ...ああ、上手く撮れているのいいなぁ...です。
 応援ありがとうございました!
 と言う広報車のアナウンスに出したものをしまって戻ります。
 さてさて、上手く映っていたらいいのですが...。
 で、なのですが“成功”です。
 幟も応援姿も2箇所でバッチリ映ってました!!やったー、です。でも、私達の所は.....。
 ま、でも3箇所中、2箇所ですからね、作戦は成功ということでしょう.。
 レース結果はというと2区と5区(応援したのに...泣)のブレーキで....30位代後半。
 うーん、こうなったら選手の皆さんに今年も予選に頑張ってもらって来年に捲土重来、雪辱してもらうしかありません。
 頑張れ、陸上部!!
 頑張れ、選手確保の予算獲得!!

 今年もよろしくお願い致します...
 
 明日は箱根駅伝です...
 
 


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    ☆我が家の癒しの権化@妖怪まくらぬし、くまっちが晴れて巨猫団の団員として認められました...。 今後ともご別懇に♪ 巨猫団。 くまっちのとても素敵な想い出になりました。 1_667
  • ☆ちびおでん
    oden その年は子猫の保護に翻弄された年でしたが、その第一弾がこの子でした。マンションの通路1階においてあったタイヤ(共用部分なのでホントは不法なのだが...)のなかで泣いていたのを私が保護せざるを得ない状況でつれて帰ったのが始まり、約一週間後に実家から持ち込まれた鼻気管炎の子、そして2ヶ月後に生まれたての3匹が排水管に投げ込まれ...結局9月に我が家には9匹の猫がいた勘定になるが、哀しいことに生まれたてのチビちゃん2匹は神様がお手元にお寄せになられしまわれた。新しいお家を探し始めたものの最初に保護した子はとってもナーバス、猫と飼い主になる方との試験期間もこの子には無理かもしれない、獣医の薦めにのっかって2匹を手放した寂しさに負け残したのがチビ・オデン。もっとましな可愛い名前を思っていたのにいつの間にかメリーが毛色などから『おでん』と呼んでいたのが定着、やれやれである。ただいま2歳、我が家のトラブル・メーカーである。毎日のように大好きなメリー兄ちゃんを困らせているしちょいちょいと隠れちゃ出す爪でストッキングの伝染被害増加中。さんざっぱら『あれ、いや。これ、いや』だが夜中にそっとやってくるチビちゃん、棄てられた子の心を治す事なぞできるものではないのだと改めて思う。『どーして、おにいちゃん困らせるの?!』今日もメリーの小言が聞こえています。
  • ☆通称・クロちゃん
    kuro クロチャンの本名は長いです、彼女が何かしでかすごとに名前がくっついて行きました。 “はげちょびっち・くろぷーすけぴー・たりりんぼまーる・かす”我が家最強にゃん、ちっぽと癒しの権化くまっちと兄弟とはとても思えない“不出来”な妹です。ちっぽたちはお腹に居る時から『モンプチ』などの高級カンカンで育ったのですが、諸問題が勃発、本当は避妊手術してクロちゃん達は生まれない予定だったのです。トラブルメイカーのためにくまっち達の育ての親代わりの方達が引っ越されてしまい、クロチャンたちも生まれてしまいました...。その後なんとかクロチャンたちのような事にならぬようクマかあちゃんは避妊の手術しましたが結局生まれた5匹の内里子にだせたのは『紋次郎』と名前を付けられた子とあまりの臆病とお間抜けに里子に出せなかったクロちゃんだけ。紋次郎も里親さんと連絡取れにくくなり元気でいるのかどうか不明になっています。契約書を取り交わす事を決意したのはそういうことからもあるのですが、なんにしてもクロチャン保護に当たっては結構大変でマンション自治会のメンバーとも一戦交えた事も。『野良なんか人に馴れるもんか』といわれましたがそんな事はありませんよ、自治会メンバーの一人であるピル簿旦那の帰りを心から待ちわびるのはクロチャンですから...。 ***2014年9月9日14時32分、16歳、右目した瞼にできた腫瘍により虹の橋を渡りました。
  • ☆みぃちゃん*********************2006年8月11日 肝嚢胞により死去、推定年齢15歳
    mie 三毛のみぃちゃんは12年も外暮らしをしていたしっぽの短いチイチャクて痩せた老猫です。面倒を見ていた方が引越しされてからずーっとそれとはなしに管理人の目を盗んでご飯をあげたりしていた。ペットクラブ設立を機に管理人さんに事情を話していつでも家に入れられるようにご飯をあげてなれさせたものの果たして我が家に来てくれるかどうか心配だった。老齢化が目に付きそろそろと思っていた矢先に子猫騒動で保護が伸びてしまったが冷夏と暖冬に救われた。しかし、東京も結構雪が降るんです、1度保護に失敗して様子を改めて見ていたのですが2月霙の夜、風邪を引いたのかよろけるように隠れ場所からでてきたのを見て援軍の息子二人を引き連れ有無を言わさず保護。しばらくはケージ暮らしをしてもらいましたが現在テーブルの下をわがテリトリーにして暮らしています。歯がもう抜けてしまっているのでお粥のようにしてあげいますが食欲旺盛。カリカリも食べたがりますがやっぱり丸呑みになるのでばあちゃんだけ別メニューです。多分12歳、ですから人間で言うと90才くらいでしょうか。目が余り良くないせいもありマンション敷地内でちんまり大人しく暮らしていたことが良かったのかも知れません。おしっこをあっちこっちにしてしまうので気をつけなきゃいけませんがペットシーツで済めばいい事。何にしても“長生きしようね、頑張ろうね..”です。
  • ☆ぎずも・ぐれむりん
    gizmo ☆ギズモ・グレムリン *********2009年7月1日。 慢性肝炎からの胆石と急性の膵炎により、手術後、急逝。享年10歳。 通称ギズくん、もしくはちゅーくん、は保護する前はどんな目に会って来たんだろうか。とにかく鳴けない、のどもごろごろしない、小心者というよりとにかく臆病だ。地震雷台風は大嫌い。すぐに情緒不安定になってしまう。くまっちに抱っこしてもらいなめてもらわない手落ち着かなくて寝られない。可愛い外見ではわからない彼には痛みが残っている。里親ポスターすら作らなかったのはギズモだけだった。まぁ、マンデに似ていたことも里親探すこともしなかった理由でもあるんだけれど。
  • ☆癒しの権化 くまっち
    *********2007年5月14日午前2時38分多臓器不全により死去 kumakun クマッチ君です。ちっぽとは同腹の兄弟ですがクマ母ちゃんがどうしても預けてくれず2年半ほど外暮らしを経験。ただし、幼少時お世話をしてくださった方にとっても大事にされたためとても性格が◎。その体格といいまさに癒しの権化でございます。セラピスト・クマッチの力は絶大。傍にこられただけでもの皆安らぎに包まれふかーい眠りに誘われてしまうのです。定期試験の前は入室制限をさせてもらってます...。
  • ☆ちっぽ
    20041126chipo とにかく、我が家最高最強のニャンです。 7月7日にクマかあちゃんから預かりました、可愛くってお利巧で、人の心をなにより判っています。ワイルドストロベリーといっしよのちっぽちゃんです

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