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イオレスの摘み草記

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多摩川で勉強中

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    多摩川の川っぺりに越して随分となりました。 ベランダから見下ろす多摩川相手に写真の稽古を付けさせてもらっています。
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2006年8月

2006年8月29日 (火曜日)

29日だ

疲労と徒労

 ばーにゃんの痩せ方が尋常じゃなくなり、フット先生の診断で肝臓に水が溜まってほかの内臓を圧迫している事が判明。年齢的にも手の施しようがない、後はみぃちゃんの好きなようにさせてあげるしかないと言われた。いつかは来るときだとは思ってはいたが、痩せてもご飯は欲しがるし、テーブルの下で寝て起きてケージに入ってみたり、と普段と同じ生活パターンを送る姿からはもう、末期だないてとても見えなかった。
 8月に入ってからだ。
 日に日に状態が悪くなって行くのが分かるようになった。
 今日帰ったら点滴しに行こうね、頑張るんだよ、と言って出かけたけど、栄養食も口にしないで嫌がった朝だった。最後に出かけたのは長男。行くからね、と声をかけたら痩せて目が落ち窪み目やにが吹き出て拭いても拭いても目やにに覆われてしまうのに、長男のほうを振り向いてみたみぃちゃん。夕方、ぬくもりはまだ残っていた。
でも、既に虹の橋を渡っていってしまっていた。
 一人で逝かせた後悔が胸を締め付けた。
 ごめんね。本当にごめんね。
 みぃちゃんは姿を変えて戻ってきた。
 ようやく、みぃちゃんのいない暮らしに戸惑いながら涙の素を拾いながら、過ぎた一週間だった。
 そして、あの記事だ。
 週明けになってもメールが来ないので電話した。
 メールの担当者がでた。
 24日の夕刊記事がすべてだ、の一点張りでこちらの要望する事には一切関知せず当然の事として一切の責任も答弁も返答もない。
 隣の空き地、についても“それがどうした、どこが違うんだ、間違った事は載せてない、事実しか書いてない”。
 疲れた。
 ごまめだから、疲れるのだ。
 ぺーちゃんたち兄弟の配水管から叫ぶ鳴き声が聞こえてくるようだ。
 息が尽きるまで鳴くのだよ、生きたいと、生かしてくれと。
 それが本能であり、生きると言う事ではないのか。
 私は高知県民じゃないけれど自然の摂理の中で生きているのは日本全国変わりはないと信じている。
 高知県民以外は、自然の道理を理解できないとあの作家は言っている。
 そーか、そう出たか。
 フランス人と結婚していると聞いて、ああ、そうか、なんて愚にもつかぬ事を考えてしまった。
 キリスト教では、ほかの生き物すべて神が人間のために造られたので、人間が管理し好きなように出来るのだ、ほかの生命体は人間の手に握られているのは当然だ、と至極まじめに何の屈託もなくそれが当たり前のことのように言われたことがある。
 そういう考えなら、“崖下に放り投げて捨てる”のもありかも。
 ああ。
 心が疲労困憊。
 ごまめの歯軋りは徒労に終わるのみなのか。
 経済新聞はなんで日経しかないんだ?
 ほかの新聞はなんだってあーも偏っているんだ?
 日本には情報の公正というものがないのか???
 8月は31日まである。
 今日は29日、あと2日もある。
 
 “ああ、はやく、9がつになれば”
 少しはいいことあるのかな..。
 精神的夏ばて、深刻です。
 

2006年8月24日 (木曜日)

日経8月24日夕刊・社会面記事

崖の下=空き地と言う編集

 『子猫殺し』
 各紙に掲載されました。
 で、当の日本経済新聞も、抗議のメールと電話が殺到している、と社会面に掲載。
 そして本人の弁明も掲載。
 やはり、直木賞作家、というべきでしょう、抗議されている内容がちっとも理解できていない事が明白だと分かる意味不明の弁明に摩り替えています。
 『お見事!』
 そして、社会面担当記者もさすが、です。
 『生まれたばかりの飼い猫の子猫を崖下の隣の空き地に放り投げている』ことに私はショックを受けたのですが、肝心なところをしっかり『編集』していました。
 『子猫を隣の空き地に捨てた』
 この程度なら、こんなに問題になるわけがないじゃないですか!
 読者を不快にさせないためか。
 しかし、これは事実ではない。
 事実の隠蔽にならないのか、日本経済新聞社は自社の不祥事も他人事にように始末したのがどうも『お家芸』としているようだ、というかそれが『よい悪いはその時による、公正中立など定義は決められるものではない、ならあなたはいえますか?』と開き直った読者担当者の言葉通りだった、と言う事になる。
 送ったメールに運でもなければツンでもないので電話をした。
 メールについては現在担当者が休みなのでそのままに『ためておいている』との事。
 サブはいるが人間が死ぬとかそういう緊急性のないのはそのままためておいて返事もするかどうかは定かではない、『沢山くるから』
 で、溜めて置くんですか...
 そういう対応に始まり結局のところ、自分たちには一切責任はなく、作家の著作権など自主性を重んじただけという。
 『購読の継続についても考え直そうと思っています』
 に、対し彼は即座にこういいました。
 『どうぞ、それも選択のひとつですからこちらからは何も申し上げられません。』
 と言って、雪印の社長の顔でもうかんだのでしょうか。
 『今は、こういうことですぐに危なくなりますが』と付け加えました。
 日本でたった一つの経済紙である当社がこんな子猫のことでつぶれるわけがないでしょ?
 あなた一人やめたところで...、という口ぶりが、今回の騒動の根っこだというのに。
 こんな新聞社を信用していた自分が今更ながらに情けなく、落ち込む。
 隣の空き地、なら子猫の生存率はまだある。
 あの作家は崖下に放り投げたのだ。子猫だけじゃなく、子犬も。
 明確な殺意をもって。
 残忍な事件になるのは人の心の闇だけど、それも最初の一歩を間違わないようにする事が、芽を摘むことが大切なのに。
 たかが、子猫じゃないか、それがどうした、こっちはそんな事じゃなくて日本のいや世界の経済をリードしてるんだ、まったく、アンタも暇だね...やめるんならやめなよ、アンタがやめたって、どうと言う事ないんだからな。 
 隣の空き地=崖下の隣の空き地
 私には=には思えない。
 
 
 
 
 

2006年8月21日 (月曜日)

8月18日付け日本経済新聞夕刊 夕・Eye プロムナードについて

欠落しているもの

 どんな著述業を生業とするなら著作権というものが存在していると考えるので、全文掲載はしないけれど、もし、手元にあったら読んで欲しい。4大新聞の一つでもあるから公共施設においてあるので、気がついたら見て欲しい。坂東眞砂子という人が何をしているかということを。
 自分の文章に酔うな、とはいわない。それだけのものだからこそ世の中に問えるのだろうが、それも発表する紙面にもよる。
  『子猫殺し』 
 タイトルだけでも充分刺激的かつ過激だ。
 だが、内容はタイトル以上に惨くて正直読み終えたとき、吐き気がしたほどだ。
 いろいろ考えた、ほえた、怒った。
 けれど、今はただ怖ろしく、そして哀しい。
 失われた命、奪われた命、踏みにじられる心、痛めつけられる思い。
 なんという、なんという愚かな自己満足な開き直りだろう。
 こんな人の著述が売れるなんて、やっぱり世の中も出版業もマスコミも間違っている!!
 欠落している。
 人間として最低のモラルが心が、失われている。
 メールを送りましたよね、日本経済新聞社。
 キチンと答えてください。
 あなた方の動物愛護についての見識を、そしてどうしてあのような文章を平気で掲載した経緯を。
 文責云々が問われているのではなく、マスコミとして、新聞社としての見識を聞かせてください。
 たとえ、投げ落とされても即死しなければ子猫は生きようとする。それが本当の本能ではないのでしょうか。
 だから、私はあの子達を預かりました。
 生まれたものは、生きようとするのです、それを自らの勝手な論理で奪う事は、母親であるあなたの飼い猫の権利を、あなたの言う本能も無視している事に他ならないのですよ。

8月朗読の会ご参加ありがとうございました

残暑お見舞いもうしあげます
 
 8月19日、奥の間にて無事8月朗読の会終了しました。
 おしゅさん、銀の匙さん、小鳥遊さん、ご参加ありがとうございました。
 それにしても暑い1日でしたが、お集まりいただきうれしかったです。
 それと、小鳥遊さん、すばらしいおみや、ありがとうございます、そしてステキなサインを写真つきで眼福の光栄にもあずかり、久しぶりに幽鬼百倍になりました。
 今回、14時ごろから始まる朗読の会、ですがいろいろとございまして、本格的朗読に入りましたのはな、なんと17時ごろでしたでしょうか??
 前振りの長かった事。でも、それもこの朗読の会の楽しみの一つなんです。
 ゲドにブレイブストーリー、イライジャ君のヒ・ミ・ツとか、携帯の電源問題と社会規範からルールとマナー、親子の問題と、大変たのしい前振りでございました。一端については、銀の匙さんのところで探してくださいね。
 今回もお話の順に好きなところを読みました。(ページは旧約)

○1番目 銀の匙さん
 旅の仲間上巻 67ページ最終行から70ページ2行目
 ビルボの記念品騒動です。ロベリアの捨て台詞にメリー君の“お世辞さ”はいいですね♪

○2番目 おしゅさん
 二つの塔上巻 148ページ~153ページ
 “イセンガルドは夜よ”木の鬚の科白、いつ聞いてもいいです。それにしてもやっぱり“思い切って”聞くのはピピンなんですね。

○3番目 小鳥遊さん
 二つの塔下巻 112ページ~119ページ
 サムとフロドがイシリエンでうさぎしちゅうを食べ終えた後、ファラミアの大将初登場シーンです。ここで原書をたどっていた銀の匙さんが原書と翻訳とで間違いを発見。
 114ページ最後から2行目
 『いつでも闘える様に身につけ、...』で闘えるように、が原書では〔for flight,〕つまり逃げられるように、になっているのです。ファイトとフライト、の間違いです。
 今回、旧約と新約、そして原書でそれぞれを読んでたどったのですが、フロドの科白が大変に丁寧な謙遜の言葉遣いであること、サムの言葉が突然真っ当になっていることなど大変面白いことになりました。これも朗読の会ならではの面白さです。

○4番目 mog
 二つの塔下巻 260ページ13行目~265ページ10行目
 サムの決断のシーンです。怒り悲しみ悩みまた涙するサム。純朴朴訥で単純なサムが乾坤一擲の一大決意をするところです。最後、暗闇の中によろめきながらも前をしっかり見つめ、後ろ髪を引かれながらも進もうとするサムの姿が彷彿とします。

 気がつくと19時近く。
 奥の間ですとこういう芸当が出来ます。
 来月9月も考えますので、是非、みなさんのご参加お待ちしています。
 ご都合のよい日、分かりましたらお知らせいただけるとうれしいです。


 

2006年8月18日 (金曜日)

8月の朗読の会ご案内

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多摩川の花火、毎年人出は増えるばかりです

8月19日に行ないます♪

 8月、お盆です。
 暑いです。
 さて、8月の朗読の会ですが、8月19日土曜日14時から航空会館の奥の間、にて開催いたします。
 毎度使用していました第2サウロン室なんですが、ちょっと管理方法が変更されて気軽に借りれなくなってしまいました。そこで、我が仕事場である奥の院・奥の間で開催しますのでよろしくお願い致します。
 14時頃、航空会館9階のエレベーター前に集合、ということでよろしくお願い致します。
 久しぶりの朗読、さぁて、どこを読もうかな...。
 最近、ちょっと元気がないので、勇気凛々瑠璃の色♪になる所を思い出そうと思っております...。
 それでは、ご都合のつく方、是非、是非おいでください!!
 お待ちしています♪
 

父と息子

ゲド戦記

 前もって、分かってもらいたい事。
 私個人の中でジブリは東映長編動画に連なる系列上にあること。
 ウォルト・ディズニーが生前に製作された作品と死後製作された作品とではいささか見解が違うこと
 ゲド戦記は1部を読み、2部まで手を伸ばしたが、いまひとつ乗れず、読み飛ばして終わっていること
 ファンタジー、として認めているのは指輪物語とナルニア国物語だけで、3大ファンタジー、とした場合は前記の2作品にはゲド戦記が入る
 私にとってのアニメの原点は確かにアトム、ではあるが東映動画の存在が非常に大きい
 だから、ディズニーよりも東映長編動画につらなる作品、と考えるものに対してはベースは好感を持っているが評もまた、それによって厳しい場合もあること
 
 見終わっての感想は一言で言えば『難しい』。
 出来としては、悪くない。
 初監督作品として、良くぞここまで作り上げたものよ、と思う。
 しかし、この作品では原作ファンは納得は絶対しないだろう。
 いや、原作ファンが納得できるような映像作品など望むほうが間違っている、というべきだろう。
 映画と原作とは所詮別物、違うものなのだ。PJのLOTRとディズニーのナルニアが教訓だ。
 観る前の勉強と清水真砂子さんの講演を聞いた。紀伊国屋書店の主催ではあったが岩波書店もかんでいたから、清水さんの映画に対するお話もさほど過激なものはなかったが、以前にあった講演ではジブリ作品に対してかなり手厳しい批評をされていたという。千と千尋において千こと千尋は何をしたのか、何もしていないではないか、と。
 ゲド戦記の作者、ル・グィン氏はアメリカにおいてフェミニズムの旗手、と考えられている場合が多く、作者本人はそうした見方に対して違和感を感じ続けていたという。『私に子供がいて育てている事が悪いように思えた』と。 観る前に読むか、読んでから観るか、に対して読まないで観たほうがよい、という意見のほうがこれまでの原作物映画における学習していた体験からも真っ当なものだと従った。
 ただ、講演も聞いたりしていたから真っ白な状態ではなかったのも事実。
 そうした中で観たのだが。
 作画的に破綻している部分があるという批評をみた。ジブリのスタッフが監督の絵に納得し得えていないのではないか、という疑問だ。確かにクモが闇の中に囚われ次第に不気味に変身して行くシーンがそれか、と思った。
 シュナの旅が原案、としてクレジットを打たれていたが、あれは、シュナの旅でもないのは間違いない。
 背景などデザインはシュナの旅だろうが、物語の本質は別物だ。
 細かな事を言い出せば限がない。
 荒削りであちこちでぼろがあり、破綻しかねない危うさを孕みつつ、最後の最後まで私の観るという気持ちを引っ張り続けてたのは、アレンと同体になってこの作品に取っ組み合った宮崎吾郎監督の一念に他ならない。
 丁寧で隅の隅まで書きつくされたこれまでのジブリ作品、ル・グィン氏のその手記に気に入ったと書かれたトトロとは同じ製作会社かと思うほど異質なものが混じっている全体の仕上がり具合は、ル・グィンでなくても驚いたことだろう。
 なぜ、原作物を作るのか。
 ハウル、そしてゲド。
 紅の豚を頂点にしてジブリはウォルトの死後のディズニーと同じ轍を踏んでいくのか。
 ディズニーはウォルトが作った会社ではあったが、やがてアメリカン・ドリームの標本として姿も心も『悪意なき悪意』による製作作品群で満たされていってしまった。クマのプーさんがいい例だ。ディズニーのプーさんは正直『ダイキライ』だ。あんなの、私が好きな『プー』じゃない。
 そして、ジブリ。
 宮崎駿という個性の塊を今後どう扱っていくか、千と千尋の後、引退かどうか、という問題が起きた時に結局宮崎駿というクリエイターに隠退などありえないことはプロデューサーにいやというほど分かったのだろう。しかし、それでいいのか、そのままでいくのか、と考えた時、ジブリを経営していくことを念頭に置いた時それではまずい、とも当然考えた事だろう。だが、新しい才能に任せようにも任しきれないとしたら。
 講演のときに見せられたビデオレターを見たとき、今まで経験のない吾郎氏にゲドを任せようと決断したのはひとえに彼だけが宮崎駿というものに抗し切れる存在だったからではないだろうか。
 父がいかにゲド戦記という作品を愛し、すべての自分の作品はゲドに連なるものだといってはばからぬ父を差し置いて自分が監督を務める決意をした息子。プロデューサーの意図していることを体現しうるのは自分においてほかに誰もいないという自負とともに彼は、アレンに自分を見出したのだろう。
 アレンは、監督そのものだ。
 宮崎駿監督なら、どういう作品を作っただろうか。
 ル・グィン氏が勧めた様にゲドが偉大な魔法使いになっていく過程を自由に宮崎駿監督流に作り上げても面白かったろう、それならそれで原作者も手記に表すような戸惑いも不満も減じただろうに、なぜそれが出来なかったのか。時だ。人は歳を取る、老いる。
 ル・グィンの許可が下りるのがもう少し早かったら、ゲド戦記の製作がもっと前だったら、今とはおそらく待った違う作品になっただろう、父が当然監督をして。しかし、許可は下りなかった。
 父は作り続けた。ゲド戦記への思いを常に燃やすながら、彼は作り続けた、そうしてようやく作れる段になった時、ゲドは自分の手から消えていたのだ。
 作画の破綻は、製作サイドのおける混乱が生じていた事の表れだと思う。この作品が出来上がるまでスタッフの上を覆い尽くしていたのは父と子の相克であり、新たなものを作り出す混沌そのものだったのではないだろうか。だが、その混沌から生み出された画風は、私にはひどく懐かしいものだった。
 主人公・アレン、そしてテハヌーであるテルー、幼い私の脳裏に刻み込まれた東映長編動画の登場人物たちと重なるのだ。ワンワン忠臣蔵で主人公を助けた灯台守の少女、太陽の王子ホルス、長靴をはいた猫のピエール....。
 あのシーン、このシーン。
 脳裏に思い返される数々のシーンは東映長編動画の一場面と重なった。
 父は息子がまったく違う進路をとった時、ほっとしただろうし、また落胆したのではないだろうか。だが、息子が同じ道を取った時、父は喜びはしなかったことは既にさまざまなところで語られている。ジブリ・ゲドはアレンが父王を刺し、剣を奪うことから始まる。意図してか否か、何ゆえそのような創作をしたのか、入れなければならなかったのか、今の時点で私は知らない。しかし、あのような始まりにしなければならなかったのは理解できる。
 すさまじい、といえばすさまじい。
 よく、まとめたと思う。
 初監督して、良くあのゲド戦記に相対したと思う。
 苦渋の中で生み出されたと信じたい。
 だからこそ、荒れも破綻も不安も不満もすべて許そう、とは思わないが重箱の隅をつつくような事だけはすまい、と思った。
 父と息子。
 同じ時期につくられた夏休み作品であるブレイブ・ストーリーとはなんと言う違いだろう、この作品は父親の不在そのもののようだと思った。
 ジブリのゲド戦記、改めて思う。
 難しい、と。
 
 

2006年8月16日 (水曜日)

吊り下げ広告

講座のご案内

 帰り、電車に乗ってふと、気が付くと、カルチャースクールの案内が下がっていました。
 『雪谷大塚校の方かな。』と思ったら『渋谷校』。
 『ほぉ~』とよくよく見るとスウェーデン語・ポルトガル語・フランス語・イタリア語・スペイン語、の中に混じって堂々『エルフ語』とありました!!
 ....これって、すごくない?

 8月15日・多摩川の花火です

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2006年8月15日 (火曜日)

8月朗読の会についてのお願い

8月のご予定、おしらせください

 6月・7月、お休みしてしまいました。
 8月こそは、と考えています。
 皆さんのご予定、是非お知らせ下さい!!
 よろしくお願い致します♪
 8月19日か26日、になりますかしらね。

2006年8月13日 (日曜日)

ありがとうございます

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 お花に囲まれてるね..みぃちゃん

 えゐち様、ありがとうございます。
 みぃちゃん、お花に囲まれて、キレイです。
 さっそく、みぃちゃんに見せます、そして飾ってあげようと思います。
 『みぃちゃん、よかったね...』

2006年8月11日 (金曜日)

虹の橋

みぃちゃん、逝きました

 みぃちゃんのご飯、どうしようかと考えながら帰ってきました。
 “みぃちゃん、ただいま”とリビング入ったら、みぃちゃん..箱の入ったままでした。
 みぃちゃんは、もう、一人で虹の橋を渡ってしまっていました。
 一人で逝かせてしまいました。
 明日、お別れです。
 ありがとう、みぃちゃん。
 本当にうちに来てくれてありがとう。
 2年と6ヶ月。
 ありがとう、みぃちゃん。
 まだ、ぬくかった。
 体温すっかり低くなってしまっていたけれど、帰ってきたとき、そんなに変わりなかった、だから、逝っちゃったのが信じられなかった、呼んでも呼んでも、呼んでもみぃちゃん、起きてくれなかった。顔を前足が隠したまんま、逝っちゃった。痩せたよねぇ、もう、2キロないんだ。それでも、それでも、みぃちゃん一生懸命に生きてくれました。ピピンもお別れ言って合宿行きました。
 みぃちゃん、さようなら、ありがとう。

昨日のみぃちゃんです。痩せてしまって...明日なまりぶし、持たせるからね
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GATHERING FOR GARDNER

ポチ君

 お知り合いからお知り合いのサイトで面白いものを見つけました。
 それは、こちらです。
 早速、こちらでダウンロードして作ってみました。
 普通の紙で大丈夫。
 カッターとのりで組み立てあげたのですが、“動かない!”“なんで??”
 再度、挑戦!
 “あ、折が逆だった....。”
 肝心な顔の部分の折が逆、これでは動かない、粗忽者め...。
 最初のドラゴン君にはさよなら、ごめんと言って、新しくつくったドラゴン君。
 “う、うごいた!!動いた、うごいたょ~”。 
 感動です。うれしいぃ~♪
 kaliさん、面白いですね、ラッコ庵さん、ご紹介ありがとうございます♪
 夏休みの工作、にしちゃまずいけれど、是非お試しあれ...。
 緑に赤のドラゴンはこちらです....。

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この“ぽち君”は緑龍でございます..

2006年8月 9日 (水曜日)

多発性肝嚢胞

みぃちゃん病気

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みぃちゃん、まだまだだよ

 みぃぱーにゃんが痩せた。
 ここ一週間で急激に痩せて2キロを切ってしまった。
 多発性肝嚢胞。
 歯を手術する時に既に発症していたけれど、歯の問題がよくなれば改善されるかもしれない、と考えていたのに。限界を超えてしまったのだろうか、急に痩せ始めると同時に食欲が細くなり、今ではチューブ入りの栄養食だけになってしまった。医者に連れて行くのはみぃちゃんにはしんどいのではないかと考えたけれど、やはり、そのままにはして置けなくて皮下点滴をしてもらっている。
 痩せて、痩せて、骨と皮ばかりになってしまった。先週までは少しずつでもお刺身やなまりぶしを喜んで食べてくれていたのに、週末あたりからほとんど食べられなくなってしまった。
 幸い、痛みや苦しさはないようで、気に入りの場所をよろよろしながらも自分で選んで寝ている。
 今朝も新聞を読み始めたらひょろひょろとしながら乗ってきた。
 毎朝のみぃちゃんの挨拶だ。
 ゆっくり、ゆっくりなでると目を細くしている。
 目やにがひどい、拭いても拭いてもでてくる。
 昨夜、よろけつつもトイレに入ったので様子をみていたら、どうも3日ぶりにでるらしい。
 力んで踏ん張って、でた、と思ったら尻餅をついてしまった...。シンドそうで、お尻をぬぐい座布団を敷いて横にする。しばらくするとまた、トイレで力む。シッコもウンチも自分で頑張るばーにゃん。
 写真を撮ろうかとおもうがあまりに痩せてしまってうつすのが、辛い。
 獣医先生も“治療はもう、ないです、脱水症状おこさないよう点滴しましょう。”
 多発性肝嚢胞だから、1つ2つ水を抜いた所で症状は改善する事もなく、みぃちゃんのように幾つもだとかえって、針をさして水を抜く事で出血してしまう方がコワイらしい。こっちも余計な痛みを与えたくもない。
 折角今日は活きのよい鰯を買ってきたけれど、お相伴に預かるだけになってしまった。
 “最近魚食べてるね。”とメリー。
 ため息。
 みぃちゃんが食べてくれたらもっと美味しいのにね...。
 我が家に来てもらって2年と半年。
 みぃちゃん、ありがとうね、我が家に来てくれて...。
 がんばろ...がんばろうよ、みぃちゃん。
 

2006年8月 6日 (日曜日)

午前8時15分17秒と午前11時2分

原爆投下時刻
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 広島でも、原爆が投下された日時を知らない子供たちが増えているという。
 “戦争を知らない親たち”
 私も、その一人だ。
 けれども、両親も親戚も皆、戦争体験者だった。
 父は台湾、父の弟は南方、兄は大陸で戦った。
 実家の母は戦争中、長岡へ空爆へ向かう敵機と空襲で空が真っ赤になるのを見ていた。
 先週、広島市から通知が届いた、被爆死没者名簿に義母が載り、新たに納められると。
 義母は、子供たちに自分の被爆体験を話す事はなかった。
 メリーは、高校で長崎で被爆体験の話を聞いたとき、おばあちゃんがなぜ、話さなかったのか、分かった気がしたと言った。ピピンは、沖縄平和学習の中で、おばあちゃんの沈黙の意味をおぼろげながら、感じた。
 ことさら、日本が負けたの、悪いの、というつもりはない。
 あの日、あの時、なんとか地道に暮らしてきた人々の上に太陽2個分の熱が降り注ぎ放射線と爆風が襲った。そして、いなくなってしまったという事実を忘れてはいけない。
 わが身がよければ、と言う風潮が忘れさせてしまうのか。
 悪い事も良い事も、幸せな事も不幸せで悲しくつらい事も忘れずに語り継いで行かなければ、消えていってしまった人たちの思いはほんとうになくなってしまう。
 せめて、その日、その時、忘れないという決心のもと黙祷をする。
 広島、1945年8月6日午前8時15分17秒。
 長崎、1945年8月9日午前11時2分。
 
 今も苦しむ人たちが少しでも癒されますように。
 このようなことがもう、2度と起きませんように、私たちは覚えおかなければならない。
 メリー、そしてピピン、広島のおばあちゃんの沈黙の意味を。

2006年8月 1日 (火曜日)

TURN BACK!!

第30回 鳥人間コンテスト選手権2006

 今年も行ってきました、琵琶湖。
 ずいぶん日が経ちました、というのも帰って翌日から編集の仕事で目一杯になってしまったからです。出来るところは少しずつやってはいましたが、結局のところ記事の材料が揃ったのは25日。
 号砲一発、じゃないですけれど、せーのでやり始めて12ページの合併号...金曜日にようやくレイアウトをプリントアウトして、CDにデータを移す段になってフリーズしてやり直し...!!!!
 XPのオオバカヤロー!!!
 と、叫んでいるところへ印刷やさん登場...しばしお待ち願ってようやくデータを渡した金曜日...正直、へろへろ...でしたし、ココログが夜だと編集不可能だったので、てんでやる気も起きず、ようよう、週明けぼちぼちに、という形となりました。
 今年は30回、でも、天気予報は日程が近づいてもよくならないどころか各地で災害の出る大雨。
 新幹線が走ってもらえそうなのかも心配していましたが、なんとか無事に米原についてほっ。
 なんせ、今回は鳥人間のこと、記事にしなくちゃならんので雨が降っても中止になってもなんとしてでも記事にしないとまずい事になってしまうのでホント、心配しまくりでした。途中わたってくる川の水位がスゴイ。果たして琵琶湖は?
 やっぱり、すごかった。
2005birdman
2005年のプラットホーム

Mark
2006年のプラットホーム、鳥人間コンテストのマークの位置にご注意

2006birdman
浜辺がなくなってしまい、いつものポジションでもはるか遠くになってしまいました

 琵琶湖があるおかげで滋賀では川の水が氾濫せずに済んでいるとタクシーの運転手さんが言っていましたが、それでも水位が60センチ上がるというのはスゴイ量が流れ込んだ、ということ。プラットホームがいつもの年より低くみえるほど。
 ホテルに行く前にメリーの友人が今年も航空研究会として出場したので差し入れの2lペットボトルなどを買い込み、早速、機体検査などの待機場所となっている第2本部へ。
 もー、差し入れするのも楽じゃないです!!
 今回は昨年に懲りて簡易キャリーを持ち込んだものの、やっぱり『重い!』。その上、本部でH大学はもっと向こうだよ、なんて教えてもらってひぃひぃ言いながら歩けども歩けども..、見当たらない...!とうとう、23日タイムトライアル部門の区割り場所でだーれもいなくなってしまい途方にくれていたらよみうりテレビの人が通りかかりほっ。
 そして、知って驚くこの真実!
 H大学、なんとまったく逆の方だったんです...Nさん、聞こえたでしょ?背筋に寒いもんが通りませんでしたか?怖気がしませんでしたか?
 はるか松原水泳場の端っこからの怨嗟の声が....したでしょ??
 ようやく、本部に戻りH大学のテントへ着いた時は息も絶え絶えになっていました...おばさんだもん...。
 救いはメリーの友人君たちの明るさと礼儀正しさでした。
 へろへろになってたどり着いたらすぐに気がついて『あ、今年もわざわざ、ありがとうございます!』の挨拶。
 いいねぇ....、気持ちのよい挨拶は。
 『助かります!』とペットボトル2l、6本を下級生たちが受け取ってくれました。昨年出場した事から新入部員が沢山入ってくれたとかで、機械工学科では貴重な女子部員も入ってくれたそうで、ま、ある面大変さはましたけれど来年に繋がるととても喜んでいました。ただ、某筋から“H大??条件付で合格なんだからね、本気で条件クリアしないとだーめ、なんだからね、あの機体は!!”との情報を聞いていたけれど、今のところ順調に言っているとの話に一安心。あとは機体検査の突破、だけです。
 汗だらけで本部に戻り、誤情報をくれたN氏に“反対方向でした...”とチクリ。
 “えっ、逆だった??エッ、ホント?わ、ごめーん...!”
 ま、これからお世話にナルしここは穏便に済ます、なんせ、N氏として、審査員のお一方なのだ。
 女性パイロット2名を取材するのには機体検査の時しかない、といつもより早めに琵琶湖入り。
 取材対象の機体検査を担当する審査員の先生にくっついていく事にしたのですが、あの長い松原水泳場をなんど往復した事か....機体検査をする先生方は超が付く位その筋のベテランの上に殆ど年配の方たち、40代、50代と見受けられるのはN氏を含めて3人くらいじゃないかしら...、だから後は60代以上。だけど、元気溌剌、熱心です。
 50代が負けてはいられないと踏ん張りましたが、いや~...、もう必死。
 で、実は私、審査員の先生の氏素性キャリアを殆どなにも知らずにいたのですが、後で聞いたら“どひゃ~”と汗が吹き出るくらい、スゴイキャリアの先生ばかり...ご無礼、失礼致しました。
 そんな私ですが、もっとひどいのが出場チームの学生ら。
 審査にきました、とスタッフが声かけたら、挨拶くらいしろよ!
 “ありがとうございます、よろしくお願いします”くらいあっても罰はあたらないだろ!
 もう、一体全体何を教わってきたんだ、こいつら、親の顔がみたい!!!
 と、オバサン、一人憤慨しまくってましたが、そんな厚顔無恥失礼千万の極み、頂点は、あのN大。
 “何様のつもりだぁ~!!!!”
 水位が上がってしまい、いつも通路として歩ける浜辺がなくなっちゃって、機体を組み立てても水没し兼ねなくて各チーム四苦八苦していたけれど、ほかの者だって濡れないように歩くのは大変、だからどうしても区割り部分に入ってしまうのだが、それだって機体には近寄らないよう、みんな気をつけて歩いている。なのに、なのに...なんだ、その場所はN大の私有地か???
Kuniku_no_saku
浜辺がなくなってしまうくらい水位が上がり浜辺側のチームはそれぞれみんな苦肉の策でしのいでいました 

 旗をもったどう見ても1・2年生と思しき学生がえっらそうに『そこ、そこ、一般は入らないで!』と旗でおっ返すのだ。機体が組みあがっているのか、と思いきや、浜からずっと上に設置したテントの中に入ったままなのだ。通ったところで、邪魔にもなにもなるもんじゃない、というのにまるで“しっしっ”と犬猫追い遣るみたいな扱いをしている。  あ、ごめんね、とは言ったけれど、あいているスペースを知って唖然だ。
 そういう態度、どこから出てくるの?
 フト、みると木村秀政先生のお写真が鎮座ましましていたけれど....おい、N大航空研究部のキョウイクはどうなっているんですか?
 ま、何も知らんド素人だから、というのならそれもそれなりの理由があるのか分からんが、審査員の先生方に対しても同じように“しっしっ”はなかろー???!!!! 
 お前たちのずーっとずーっと、大先輩だぞぉ!
 礼儀を知らんのか!!

 ついに、説教を食らったようだが、果たして理解できたかどうかは、態度変らずのところ見ると出来はしなかったみたいです。
 飛んで当たり前、優勝しなくっちゃ帰れない、なんてことも聞いたくらいのプレッシャーはかかってはいても、礼を尽くす、社会的規範を守ることは関係ないこと。
 それにしても、挨拶の出来ない連中の多さにあきれるどころかおばさん、怒髪天を突く勢いでもあった機体検査同行でした...。ちゃんと出来ていたところあったけれど、少なかったです、ホント。
 で、結論から言うとですね、人力プロペラですが優勝したのはN大じゃございません、驕れるものは久しからず。
 彼らからしたら、完全に失敗フライトという記録で終わり、優勝は見事折り返しに成功した東北大学。戻ってはこられませんでしたが、きれいな航跡でした..天晴れのフライトでした、謙虚に努力を続けた事が実を結び、なによりの優勝です。
 フライトの後、あんなにえらそうだった皆さん、お通夜のようにしょげてました。だけどさ、さっさとテントとか片付けるのはいいけれど、木村秀政先生の写真おきっぱなしというのはいただけないよ、ショックだったのは分かるけれどね...。
 心配した天候は22日は回復してレースは順調、いろいろあった人力プロペラ・距離部門も速やかに終わり(つまり、大フライトがすくなっかったのだ)、28機エントリーの滑空機部門もスムーズに進んでいきました。H大?今年は言わぬが花、の成績。さすが、審査の先生方の目は隠せません。設計図の段階でどの程度飛べるのか分かってしまうのは朝飯前の皆さんです。H大も下級生が主体で頑張ったから来年はこの経験活かしてまた、いい機体を作ってくださいね、“初心忘れず頑張れ”です。

Rightup
夜のプラットホームと彦根城はライトアップされとてもきれいでした

 翌日は繰り越す機体もなく、早朝6時から新種目のタイムトライアル競技が開始されました。
 100メートル飛び、そこからタイムを計測、1キロ先の折り返しをして戻ってくるタイムを計るのだ。
 考えたら、すごい事なのです、これは。
 飛ぶことは勿論操舵の技術もタイムも要求されるのです。
 果たして???
 エントリーは8機あったものの飛んだのは6機。
 人力プロペラ機の名機中の名機と言われ展示すらされている8年前記録を出したチームエアロセプシーがあの中山パイロットとともに参戦、すばらしいフライトで7分ほどで戻ってきたとき、鳥肌が立ちました。
 鳥人間コンテストでプラットホームに機体が戻ってくるなんて..信じられますか??
 “信じられない”位、すごくてすばらしいフライトでした..お見事、さすが、としか言いようがありませんでした。

Turnback
ゴールイン!! チーム・エアロセプシーの見事なフライト

 その記録に挑むのはこれもキャリアのある風車の会。
 自信あり、とリーダーの言うとおりのテイクオフした後のスピードは驚くばかり。
 人力プロペラ機ってこんなに速くとべるものなの?
 中山パイロットの記録より2分速く折り返し点に到達、無事折り返しを済ませた時点で1分半早いタイムだったのですが、あとゴールは目の前、というところで着水....戻ってきたもののゴールインは出来ませんでした。
 パイロット、精も魂も尽き果て悔しさと残念さでもう、泣きっぱなしでした....。
 大会は9時30分には表彰式を行い、11時前にはすべてが終わり、私も大阪へと向かいました。
 今回、仕事がらみということになりましたが、それはそれの楽しさ面白さもあり、来年の今頃も琵琶湖に立っていることになるのでしょうね...参加された選手、チーム、スタッフすべての方々、そして審査員のすばらしい先生方、お世話になりました、ありがとうございます。

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  • DeBoomo=Zash 巨猫団入団!
    新メンバーとして許可されました 025
  • 巨猫団入団!!
    ☆我が家の癒しの権化@妖怪まくらぬし、くまっちが晴れて巨猫団の団員として認められました...。 今後ともご別懇に♪ 巨猫団。 くまっちのとても素敵な想い出になりました。 1_667
  • ☆ちびおでん
    oden その年は子猫の保護に翻弄された年でしたが、その第一弾がこの子でした。マンションの通路1階においてあったタイヤ(共用部分なのでホントは不法なのだが...)のなかで泣いていたのを私が保護せざるを得ない状況でつれて帰ったのが始まり、約一週間後に実家から持ち込まれた鼻気管炎の子、そして2ヶ月後に生まれたての3匹が排水管に投げ込まれ...結局9月に我が家には9匹の猫がいた勘定になるが、哀しいことに生まれたてのチビちゃん2匹は神様がお手元にお寄せになられしまわれた。新しいお家を探し始めたものの最初に保護した子はとってもナーバス、猫と飼い主になる方との試験期間もこの子には無理かもしれない、獣医の薦めにのっかって2匹を手放した寂しさに負け残したのがチビ・オデン。もっとましな可愛い名前を思っていたのにいつの間にかメリーが毛色などから『おでん』と呼んでいたのが定着、やれやれである。ただいま2歳、我が家のトラブル・メーカーである。毎日のように大好きなメリー兄ちゃんを困らせているしちょいちょいと隠れちゃ出す爪でストッキングの伝染被害増加中。さんざっぱら『あれ、いや。これ、いや』だが夜中にそっとやってくるチビちゃん、棄てられた子の心を治す事なぞできるものではないのだと改めて思う。『どーして、おにいちゃん困らせるの?!』今日もメリーの小言が聞こえています。
  • ☆通称・クロちゃん
    kuro クロチャンの本名は長いです、彼女が何かしでかすごとに名前がくっついて行きました。 “はげちょびっち・くろぷーすけぴー・たりりんぼまーる・かす”我が家最強にゃん、ちっぽと癒しの権化くまっちと兄弟とはとても思えない“不出来”な妹です。ちっぽたちはお腹に居る時から『モンプチ』などの高級カンカンで育ったのですが、諸問題が勃発、本当は避妊手術してクロちゃん達は生まれない予定だったのです。トラブルメイカーのためにくまっち達の育ての親代わりの方達が引っ越されてしまい、クロチャンたちも生まれてしまいました...。その後なんとかクロチャンたちのような事にならぬようクマかあちゃんは避妊の手術しましたが結局生まれた5匹の内里子にだせたのは『紋次郎』と名前を付けられた子とあまりの臆病とお間抜けに里子に出せなかったクロちゃんだけ。紋次郎も里親さんと連絡取れにくくなり元気でいるのかどうか不明になっています。契約書を取り交わす事を決意したのはそういうことからもあるのですが、なんにしてもクロチャン保護に当たっては結構大変でマンション自治会のメンバーとも一戦交えた事も。『野良なんか人に馴れるもんか』といわれましたがそんな事はありませんよ、自治会メンバーの一人であるピル簿旦那の帰りを心から待ちわびるのはクロチャンですから...。 ***2014年9月9日14時32分、16歳、右目した瞼にできた腫瘍により虹の橋を渡りました。
  • ☆みぃちゃん*********************2006年8月11日 肝嚢胞により死去、推定年齢15歳
    mie 三毛のみぃちゃんは12年も外暮らしをしていたしっぽの短いチイチャクて痩せた老猫です。面倒を見ていた方が引越しされてからずーっとそれとはなしに管理人の目を盗んでご飯をあげたりしていた。ペットクラブ設立を機に管理人さんに事情を話していつでも家に入れられるようにご飯をあげてなれさせたものの果たして我が家に来てくれるかどうか心配だった。老齢化が目に付きそろそろと思っていた矢先に子猫騒動で保護が伸びてしまったが冷夏と暖冬に救われた。しかし、東京も結構雪が降るんです、1度保護に失敗して様子を改めて見ていたのですが2月霙の夜、風邪を引いたのかよろけるように隠れ場所からでてきたのを見て援軍の息子二人を引き連れ有無を言わさず保護。しばらくはケージ暮らしをしてもらいましたが現在テーブルの下をわがテリトリーにして暮らしています。歯がもう抜けてしまっているのでお粥のようにしてあげいますが食欲旺盛。カリカリも食べたがりますがやっぱり丸呑みになるのでばあちゃんだけ別メニューです。多分12歳、ですから人間で言うと90才くらいでしょうか。目が余り良くないせいもありマンション敷地内でちんまり大人しく暮らしていたことが良かったのかも知れません。おしっこをあっちこっちにしてしまうので気をつけなきゃいけませんがペットシーツで済めばいい事。何にしても“長生きしようね、頑張ろうね..”です。
  • ☆ぎずも・ぐれむりん
    gizmo ☆ギズモ・グレムリン *********2009年7月1日。 慢性肝炎からの胆石と急性の膵炎により、手術後、急逝。享年10歳。 通称ギズくん、もしくはちゅーくん、は保護する前はどんな目に会って来たんだろうか。とにかく鳴けない、のどもごろごろしない、小心者というよりとにかく臆病だ。地震雷台風は大嫌い。すぐに情緒不安定になってしまう。くまっちに抱っこしてもらいなめてもらわない手落ち着かなくて寝られない。可愛い外見ではわからない彼には痛みが残っている。里親ポスターすら作らなかったのはギズモだけだった。まぁ、マンデに似ていたことも里親探すこともしなかった理由でもあるんだけれど。
  • ☆癒しの権化 くまっち
    *********2007年5月14日午前2時38分多臓器不全により死去 kumakun クマッチ君です。ちっぽとは同腹の兄弟ですがクマ母ちゃんがどうしても預けてくれず2年半ほど外暮らしを経験。ただし、幼少時お世話をしてくださった方にとっても大事にされたためとても性格が◎。その体格といいまさに癒しの権化でございます。セラピスト・クマッチの力は絶大。傍にこられただけでもの皆安らぎに包まれふかーい眠りに誘われてしまうのです。定期試験の前は入室制限をさせてもらってます...。
  • ☆ちっぽ
    20041126chipo とにかく、我が家最高最強のニャンです。 7月7日にクマかあちゃんから預かりました、可愛くってお利巧で、人の心をなにより判っています。ワイルドストロベリーといっしよのちっぽちゃんです

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