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イオレスの摘み草記

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多摩川で勉強中

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    多摩川の川っぺりに越して随分となりました。 ベランダから見下ろす多摩川相手に写真の稽古を付けさせてもらっています。
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2006年10月

2006年10月27日 (金曜日)

二つの硫黄島

父親たちの星条旗

 エルフ語講座のおかげで、『父親たちの星条旗』試写会に行く事ができました。
 淡々と戦争の現実そして事実とはなにか、を突きつけてきます。
 クリント・イーストウッド。
 硫黄島での激戦は、幼い頃父が話してくれたことがあります。山の形が変ってしまうくらいの激しい砲撃が行なわれたと。そして、日本の兵隊さんは『玉砕』したと。
 玉砕って、なに?
 全滅してしまうことだよ。
 
 だから、玉砕と言う言葉はとてもおそろしいものだと幼い心にも哀しいものを感じた事を覚えています。
 主人公の父は旗を掲げた兵士のうち、生き残った3人の内の一人でしたが、沈黙してその生涯を終えます。
 主人公は、父が何をし、何を聞き、何を見たのか、あの硫黄島での激戦を丹念に追っていきます。
 
 7回忌を済ませた私の父は、台湾で通信兵として終戦を迎えました。
 父には1人の姉、そして1人の兄、二人の弟と妹がいました。
 兄は志願兵として中国・大陸へ行き、弟は南方へ行き砲弾の破片を受けながらも九死に一生を得て帰ってきました。男兄弟4人の内3人が出征して3人が帰ってきたことを小学校の時友達に話したら『それって、すごいね!』と言われました。まだ、私の小学校時代では自分の父、または祖父・親戚が戦争体験者であり兵士であったのは普通に近いことでした。末っ子の叔父が時の空気に浮かされて予科練に入ろうとしたのを亡くなった祖父が怒って『4人の内3人までも兵に出したのだから』と連れ戻したといいます。
 幼い頃聞いた父の戦争の話は事実、でしたが、それは改めて思い出すと父の直接の体験の話ではなかった。
 父がどうだ、こうだ、というのは間接的に母から、叔父から『そうだった』と言う形で聞いていただけだったのだ。
 父も沈黙したまま、自分の体験を持って行ってしまったことになる。
 語り継ぐべきこともなかったからなのか、今では聞く術もない。
 被爆者であった広島の母も、ほんのわずかな事しか言わずに亡くなった。
 今、問題になっている必須履修科目についてだが、世界史は暗記する事が多すぎて受験生に敬遠されているから教えなかったという高校側の話もわからないわけではないが、日本史だけでは片手落ちもはなはだしいわけで、今更ながら、教育現場での『ゆとり教育』の弊害を浮き彫りにしている。
 世界史と日本史、これは歴史を学ぶ上での両輪。
 アジアで日本の歴史認識を揶揄されてもこれでは致し方がない。
 受験があろうとなかろうと、学校で教えるべきことは教えるべきである。そのための授業料では、ないのだろうか。子ども達は『勉強』するために学校に行き、親は授業料を払っているのです。これで大学も行けませんでした、では『金だけとって』ということになる。
 
 話は戻るが、『父親たちの星条旗』をみて、日本からの視点だという『硫黄島からの手紙』を観て見たいと心から思った。
 
 父たちの世代は戦争に翻弄された。
 そんな、父たちを忘れない事、語り伝えていく事、これは子どもとしての務めであると思う。
 
 二つの硫黄島。
 戦争は、間違いなく、あったのだ、忘れてはいけない。
 決して、忘れては、いけない。

 クリント・イーストウッド監督に拍手。 
 

2006年10月18日 (水曜日)

RPG仕事版

Coco_doko
ココチャン、どこに乗っているの???

モリアの坑道

 毎度のことでありますが、現在、『修羅場』です。
 表彰式の準備です。
 案内状、郵送。現在返送されてきたのを住所確認しての送り返しや追加の作業です。
 霧降山脈・カラズラスの峠で雪崩にあったかのような仕事でした...なんとか脱出できたかな??、と思うまもなく、現在モリアの坑道に追い遣られました...。
 機関紙の編集です。

 でも、原稿が...来ない。

 督促のメール、レゴラスのように打ちまくっています。
 20日に印刷所に渡したい、という希望をもっていますが...。
 嗚呼、修羅・修羅・しゅしゅしゅ...!!
 モリアの坑道を無事に通り抜けられるでしょうか?
 バルログとの遭遇は来月14日です。

Roukaku
我が家の空中猫楼閣、です
 

 

2006年10月16日 (月曜日)

秋の空は青く・高い

父の七回忌法要

ぶどう棚の上は一等席
Tanuki_budou


 昨日、父の七回忌が実家であった。
 お寺さんは、郷里の会津にある。三回忌は会津でやった。本当は来年なのだが、お寺の先代住職の法要と重なるということもあり、1年前倒しで行うことにして、さて、場所をどうするかだった。
 ようやく、母が自宅でやることに決めたものの、その日のことをいろいろ考えると寝られなくなってしまった、と聞き、早速初孫であるメリーが要望に応えて出動、前の週に出かけて大物片付けをし、仕上げとして前日に私が準備をした。
 掃除・片付けというものは、見なきゃ見ないでいいのだろうが、こういう時じゃないと出来ないかもな、なんて思ったら、ついつい仏壇の裏とか引き出しだとか、なんだかんだと始めたら思いのほか手間になった。
 それでも、齢80になる母の気持ちが楽になるならそれに越した事はない。
 歳を経るにつけ、思うのは「気持ちの持ちよう」。
 楽しい、うれしい、待ち遠しい。
 そんな前向きな心でゆとりが少しでもあると、人間なんとか過ごしていけると言う事を自分自身が実感しているここ何年かだ。10年、いや5年どころか1年前ですら今の自分よりずっと動けたし、モノも見えた。老眼かけてもかけない前に見えたものが見えないという事実、これはまさしく老いとの直面であり、対決でもある。しかし、これは日々の中で結構ボディーブローのように効いてくる。
 字を読むのが正直辛いということは、仕事にしても日常の生活の中でもなかなかしんどいものである。ましてや本好きとしては、『嗚呼、哀しいかな、切ないかな、断腸の思いなり』である。 指輪物語の旧版・文庫に慣れ親しんでいるとはいえ、『読むぞ』と一応自分を叱咤激励して手に取っているのだ、覚悟を決めて。何度も読み返して覚えているからできるようもので、新しいもので活字が小さいと『涙』になるんだよね...寂しい限り。
 で、掃除。
 なんとか、体裁は整ったかな?と思い、後は当日だね、とその日は帰った。帰って、新しいメンバーになったペットクラブにまたまたオブザーバーとして出席し、自宅でようやくほっとしたのは21時を過ぎていた。会合の間、胃が痛くなり、内心冷や汗たらーり、となったが家に戻ってしばらくしていたら収まってきたのでほっとした、明日寝込むような事になったら、一大事だもの。しかし、である。覿面、というのはこういうことなんだとつくづく思った。朝からじたばた動いていたので足がつりそうにもなっている。こういう予兆を知るというのも『情けないねぇ』ではあるが、連荘の湿布のお世話となった。 左だけじゃなく右も、やれやれのやれ、である。
 翌朝、少し寝過ごしてしまったがなんとか予定の時間より10分ほど遅れで実家に到着、五月雨式に出発形式にして既に仕事開始をしていた長男に『遅い!』と言われてしまった..やれやれ。ビル簿旦那とピピンはお約束どおり、10時近くになってようやく到着(朝シャンするならもう少し早く起きろ!)。法要のお返しをセッティングし、もう一度埃を払ったり掃除をしている合間にメリーをコンビニに派遣、朝飯調達を向かわせていたら所だった..調子のよい二人だ。で、4人でおにぎりを食べ始めていたら、妹がやって来た。
 『今頃朝ごはん食べてんの??準備、悪いわね!!』と、きたもんだ。
 内心の言葉。
 『そんな事いうのなら、前日来て手伝え!』
 毎度のこととはいえ、腹の虫の居心地が悪くなった。然るに、ではある、取りあえずエプロンかけて10時前に来たのは、誠殊勝であろうな。これ以上は『言わぬが花』である。
 兵糧も入ったし、来客、お茶の用意だ。
 遠路はるばる会津から叔父、叔母たち親戚がやって来よう。
 方丈様も遠く会津からやってくる。この度は若方丈様が来る事になった、副住職として修行中ということで妹は不満羅列していたが、会津は、遠い。来てくれるだけでもありがたいと思い、会津に行った時には住職様にお経を上げていただければよいではないか、と母と話した。母たちとは面識もある、これからお付き合いは続くのだし、今から良くわかって頂くのもよいと思う。
 しかし、当日というのは思っても見なかったようなことなど出てくるもの。
 お経の途中で仏壇の中で絵ろうそくの炎がでかくなり、火事になりそうになって中断してろうそくをとりかえるは、秋の花粉症で方丈様鼻水に苦戦したりと、お経一つ終わるまで、『たのしいねぇ』である。 
  ま、それでも無事に法要一切が無事終了。
 食事の時、孫ら5人は隣の席となった、お目付け役で私が同席したものの、我が家の2人の息子らはある程度食べたら(あっという間に食べるものはなくなってしまい、手持ち無沙汰になったこともあるのだが)酒宴たけなわのほうへ移動、おいおい、ピピン、お前はまだ未成年ぞ、後2ヶ月あるんだからね!、という母の建前はあのビル簿旦那と親戚ご一同様の中にあってはただのうるさい割れ鐘にすぎない。また、やれやれだ。体育会だし、目を片目つぶるしかなさそうだ。
 我が家には姪はいない。
 みな、甥、ばかり5人。
 花がないよね..やっぱり。
 男の子ばっかりの孫5人を引き連れて美味しいものを食べに行くのがなにより父は好きだった。事情があって1年前倒しをしての法要だったが、父が亡くなってもう、6年が経つのだ。
 父が亡くなった年は哀しいことばかりあった年だった。
 今も、突然何かの引き金で涙腺がぶち壊れる事がある。
 開いた穴などどうして埋められようか。
 無理に埋めた所で何になろう。
 父の葬儀の日、高く高くそして、青く晴れ渡った空があった。お天気でよかったね、おいでいただく方のご迷惑にならないで済んだね、お父さんらしかったね、そんな会話をした葬儀だった。今年も青空で法要が出来ました。
 実家でやった7回忌。
 お父さん、お天気、ありがとう。
 孫たち、おおきくなったでしょ?
 みな、お父さんのおかげです。
 これからも、見守って下さいよ、お母さん頼みますよ...。
 
 ...寝る前に明日の仕事の為、またまた、湿布のご厄介になりました..、ああ、やれやれ、ナン連発だ?


庭の椿、初咲きの花一輪
Hatutubaki

2006年10月11日 (水曜日)

誕生日だった

Pa0_0008
こっちゃん、何考えてるの?

Futou_1
いちおう、めでたいと思うので『花一輪』。

年を取るのだ

 誕生日である。
 朝、メリピピはまだ寝床の中だった。
 多忙である、超が2・3個つくくらい。
 やることが降り続いている、土砂降り状態である。然るに、体力は日に日に年年歳歳、衰えを自覚する。
 覚えも悪くなった、第一、よーみえん、これが何より辛い。
 老眼かけてもあんまり変わらないので余計に見えないことを突きつけられるようで腹ただしい。
 ○年期、だと言われて2年ほどになるか...。
 気にしないようにしようと考えていても、実際問題として体が思うようじゃないとやっぱり、落ち込みますわね..。
 かといって、へたれて寝込めるほど、7にゃんす゜は優しい存在じゃあ、ございませんです、はい。
 こいつら、人の都合など一切お構いなしである。
 飯・出す・寝る・遊ぶ..やりたいことはやりまっせ!!、である。
 低空飛行であろうと、なんとしても『空元気でもなにより』、とこれまでなんとかやってきた。
 これからも、だろう。
 ビル簿旦那、家族のため、世のため人のため、会社のため、日々頑張って汗水たらして働いてくれて、ありがとう。
 メリー、粗忽者で短気ですぐ暴発する母にして君のような長男は最高だよ!毎度、フォロー、感謝感謝だ、そして、美味しそうなケーキ、ありがとう。
 ピピン。
 そうだ、君は母の老化を推し進めているのか、はたまた、精神的に落ち着きすぎて老成するのを防ぐための心配と気苦労と世話をかけることを故意に行なっているのか、よく、解らんが、毎日・毎日、よくもそれだけ母の怒りを買うことをやってくれますな....、アドレナリン放出原因は猫・6割ピピン4割だ。プレゼント・連名であったが恐らくはとーちゃんに便乗であろう、しかし、『心配かけてます』と書いてある事自体自覚とみていいのか?
 とにかく、3部には落ちるなよ!
 めちゃ、はっぴぃ~♪、ではないがほどほどのはっぴぃを喜んでいる。
 誕生日、めでたさもそこそこ、それでいいんだ、人生は、であろう。
 ビル簿旦那とメリピピと7にゃんずとともにこれからも前へ前へ、進めたら、それでいいと思っている。
 

2006年10月 9日 (月曜日)

鈴鹿 ラスト・ラン

念は届かず
F11
台風で遅れた新幹線、近鉄も払い戻しの人でいっぱいだった2年前

F12_1
ようやくたどり着いた鈴鹿サーキット、入り口から席までたどり着くのが死に物狂いに歩いたという記憶しかない

F13_1
多分、琢磨

F14_1
そして、多分、皇帝

 ピーカンの秋晴れとなった。
 2年前、ビル簿旦那の伝で鈴鹿サーキットで開催される日本グランプリを観戦しに、メリーと行った。
 寸前だったのでホテルを取るのが大変で、これも上司の伝でなんとか、名古屋にホテルを取る事が出来た。
 そして、前もって色々手配して当日をまった。
 が、あの年はやたら台風が上陸した年だった。
 出発の朝は台風接近で新幹線は、なんとか走ったものの小田原、熱海あたりでおかしくなりだした。
 遅れてようよう着いたものの予選は中止。
 予選・本選同日開催となり、サーキットまでなんとか予選途中、本選ぎりぎりにたどり着くのもやっとだった。
 人出も琢磨人気でどえらい人手となり、トイレに行くのも、飲みものを買うのも死に物狂いで人を掻き分け、もみくちゃになった。花火見物で死者がでた事故があったが、どうしてそういう事故になってしまうのか、疑似体験となった、人ごみの中にもまれて、本当に息が苦しくなった。気持ち悪くなり吐き気すらした。苦しくてもにっちもさっちも行かない恐怖は、二度と体験したくはないものだった。人がたくさん居るだけだが、それが凶器になることが、身をもって知った。
 一緒に行ったメリーは頼まれても二度とF1になんか行かないと言った。
 GTのほうが、よっぽど面白いと。
 鳥人間の時に、そんなことを自動車ジャーナリストで審査委員をされている方に話したらこういわれた。
 『陸上中距離のアスリートの試合とプロレスを比べるようなもの、比べるのが間違いだよ。』
 確かに、車の最高峰であるF1とGTとではそれだけの違いはある。
 耳栓がいると、わざわざ耳栓を買ったが、使わなかった。
 もったいなかった。
 本田・ミュージックを耳栓するなんて...。
 F1のどのチームの車が発するエンジン音はスゴイ、というか素晴らしかった。
 ホテルも楽勝に取れて、サーキット内を何事するのにも人ごみにもまれず、命の危険を感じることなく、スムーズにどこ行くにも20分以上歩くことなく、帰りも5時間もかからずに名古屋まで帰れたら、私はF1に行き続けたろう。
 しかし、である。
 もう一度あの人ごみと全て自分の足しかないサーキットの移動のことを考えると二の足を踏み続けてしまう、怖気づいてしまう。頼みの綱のメリーは断固として『イカナイ』の決心である。
 鈴鹿は遠い。
 そう思っていたら、今度富士サーキット開催になるという。
 トヨタがまた札びらを切ったのだ。
 件のジャーナリスト氏曰く。
 『ユダヤ人に札束をどれだけ多くどっちが積んだか』ということだろう。
 ジャパンパワーというが、札束パワーのようで、今ひとつ応援する想いが湧かないのだ。
 田舎のおっちゃんが夢を追って追って行き着こうとした自動車レース最高峰への挑戦の継続、と言うイメージの片一方とでは、断然の差が、ある。だから今年、2列目を独占しても、なんかちっとも嬉しくなかった。
 この2列目が3列目を押さえる事などまったく当てにならないなかったし、予選と本選とでは全く違うからだ。
 ラスト・ランにすると発表したシューマッハ。
 2年前、口惜しいくらい速かった。
 何でこんなに違うのか、と不思議になるくらい次元の違う走りだった。
 そして、思った。
 『スゴスギル』
 だから翌年の不振は、狐につままれたようだった。
 そして、今年、皇帝は素晴らしい追い込みを始め、生意気な若造にレースとは何かを見せ付けているようで、応援していたけれど、彼の決心が『ラストラン』であることを知り、ますます今度の鈴鹿でなんとかなんとしても勝って欲しかった。
 が、結果は幸運の女神は皇帝には振り向いてはくれなかった、女神だけに若造の方が好みだったのか??
 10周を切って、メリーと二人念を飛ばし始めた。
 “白い煙がでろ、エンジンブロー・エンジンブロー・エンジンブロー....”
 念は届かず、誠に私にとって不公平で最低な結果となってしまった。
 こんなことになるなんて、2年前のレースの事を思い出すと信じられない。あんなに速くてあれほど素晴らしかった皇帝だった。たった、2年前だというのに...。
 皇帝はピットのメンバーに感謝をし、サーキットを去っていった。
 若造は傲慢なパフォーマンスを繰り広げ勝利を祝った。
 しかしだ、若造覚えておけ。奢る者は久しからずだからな...。
 哀しいくらいは秋空は高く晴れ渡っていた。
 鈴鹿ラスト・ラン。
 50億の経済的損失だという。
 札束でもぎ取った富士でのグランプリ、周りのインフラ整備からして今度はどんな金を積むのだろう...。
 2006年、日本グランプリはまたしても失望と脱力感に陥って、終わった。
 ああ、やれやれ...。
 

2006年10月 7日 (土曜日)

フクちゃん

命 
 フクちゃんの写真を見たとき、『コノイキモノハナンダロウ』、というのが正直な感想でした。
 それほど、保護されたフクちゃんはとても猫には見えませんでした。
 鼻と口に出来た腫瘍のために顔は脹れ上がり、体は汚くやせ衰えたその姿に、息がつまりました。
 普通ならすぐさま安楽死の選択肢がなされたでしょう。
 でも、フクちゃんを保護した方は、ふー。しゃーっと威嚇するフクちゃんを広く大きな心で抱きとめ、他の猫たち同様、優しく粘り強く、看病しお世話をしてくれました。
 フクちゃんのほかにも100匹ちかい猫さんたち犬さんたちを守るために、体を張って、真摯に一生懸命な姿はただただ頭を下げるばかりでした。
 3日の日記にフクちゃんがようやく心を開いてなでさせてくれた、と嬉しい報告があったばかりだったのに、先ほどサイトにお邪魔したら...。
 4日、ケージの棚から転げ落ち抱き取ったフクちゃんはその方の腕のなかで可愛い声で泣いて、息を引き取ったとの事。
 長い間、外暮らしで怯えつつ病魔に冒されていたフクちゃん。・ 
 最後は、手厚い看護の中、虹の橋を渡って行きました。
 涙がでてしょうがありません。
 今はただ、その方に『ありがとうございました』としか、いえません。
 本当に、ありがとうございました。
 命一つ、守ることの難しさは語るまでもない現状の中でふれる真心に、勇気がともります。
 『フクちゃん、あなたのこと、知る事ができて、心のそこから良かったと思っています、ありがとう、フクちゃん。安らかに、お眠りください。』
 犬猫救済の輪、日々の活動ブログ、これからも私の勇気の素に致します。
 結さん、ありがとうございます。

2006年10月 6日 (金曜日)

10月朗読の会 ご案内

10月のご案内です

 10月ですね。
 10月なんですね!
 10月か...。
 
 なんて、言ってもおられない待ったなし、の10月です。
 でも、朗読の会、やります!
 またまた奥の間で行います、ご都合のよろしい方、是非ご参加ください。
 美味しい紅茶をご用意してお待ち申し上げます。
 
 日時 平成18年10月7日(土) 14時から 
 場所 航空会館 9階 奥の間にて
 
 初めての方は9階エレベーターホールでお待ち下さいね。
 

2006年10月 3日 (火曜日)

保険の効用

ピピンの入院

Shiai
雨が降ったらグランドは泥田です。雨のグランド/春・プレシーズンでのひとこま

Shiai2
雨の中の試合なんて、こんなもんだ...だからこそ言うぞ、『泥くらい落として来い!!』

 10月1日・都民の日。
 今日こそ日曜らしい日曜日の過ごし方をするぞ、と思っていた。
 昼過ぎまでは順調だった。
 メリーが掃除をはじめ、掃除機のモーター音が響く中、PCをあけ29日の食のシンポジウム、そして30日の動物愛護のシンポジウム、それぞれをまとめておこうと思っていた。ふと、雨音に気がついた。
 ピピン、試合だ。
 雨の中の試合を嫌がっていたが、それはこちらも同じだ。
 当然ではあるが、芝ではないグランドでの試合は「悲惨」だ。
 試合後、水洗いしても砂が落ちる、細かな泥が風呂場にたまる、掃除が大変な上にブラシでこすったって、汚れと言うか、もう土で染色されているのと同じなのでどうにも汚れなぞ、きれいになるものじゃない。作業着用洗剤を使っているが、せいぜい“気は心”程度。
 ましてや、持ってくるのはピピンだ。
 “雨降ってきたね、参ったな..また、泥まみれのユニフォームが帰ってくるんだ。”
 なんて、言っていたら電話が鳴った。
 ちょっと、いやな感じ。
 『えー、こちらは○○の救急隊です。』
 一瞬にして、のどかな日曜はすっ飛んだ。
 『○○君は息子さんですね?』
 交通事故?はたまた、ナンだ、どうなった?冷静に、そうだ、冷静にならなくては...。
 救急隊員の説明によると、試合中相手とぶつかって、意識が朦朧となり、様子がおかしいので、監督サイドから要請がありこれから病院に搬送します。意識はあります、本人と話をしました。多分脳震盪だとおもいます、けれども、記憶の一部がなくなっていて、意識がぼーっとしています。未成年なので、搬送する先の病院まで至急おいで下さい、ということであった。
 電話に出て、声の調子が変わったことで異変を察知したメリー。
 雨は降っているし、日曜で夕方にかかるから道は渋滞必至だし、やる事アンのに、やだなぁ...とぼやきつつすぐさま準備をする。ビル簿旦那に連絡をいれ、30分以内に出発をしたものの、やっぱり込んでるよ....。
 初めての場所だし、でようやく2時間かかって病院に到着。
 途中、本人から電話が入ったけれども、どーも、声の調子がおかしい。
 一枚幕がかかっている感じの受け答えなのだ。
 待合室で座っているピピンを見てホッとはしたものの、医師の診断が気にかかる。
 監督も同伴してくださり、まずはお礼とお詫びだ。まーたっく、同じポジションの先輩が鎖骨を折って試合出られないんだから、尚の事気をつけなきゃならないのに..メンバーに迷惑かけることになるから気をつけろってあれだけ言ってたのに...。
 若い先生だったが、てきぱき、丁寧な説明である。
 『レントゲンでは骨折等は見受けられません、CTでも出血は認められません。しかし、こうした場合、24時間様子を見ないと大丈夫かどうかはいえませんので、出きれば今夜一晩入院したほうがよいのではないかと思います。』
 即決、入院決定です。
 家に連れ戻した所で途中渋滞にまたまたはまっている時に具合でも悪くなられたらそれこそ大変、なんて事じゃなくなるから、即断です。ピピン、小さく『入院はヤダ、家に帰りたい』なんぞとほざいていたが、無視、です。初めての入院です、多少のビビリもあったのでしょうが、とにかく、家まで遠すぎます。今夜一晩、ご厄介になってもらいましょう..です。
 そんなピピンに追い討ちが入った。
 『今夜は様子を看るため、点滴をしますが夕飯も抜きとなります。』
 点滴に夕飯なし。
 泣きっ面にオオスズメバチのピピン、挙句に音楽聴きたいというとすかさず『安静にしてなきゃいけないんだから、やめとけ!』と、メリーにウォークマンしまわれ携帯も電源を切られて仕舞い込まれてしまった。さすが、メリー君。
 とにかく、今夜一晩大人しくしとくしか、ありません。
 男の子二人、幼稚園に通うようになりすぐさま入ったのが生協の子供用の保険だ。
 掛け捨てだが、怪我重視の保険で病気にも対応するタイプに二人を入れてこれまでずっと継続していた。
 メリーの盲腸、肺炎、ピピンの自転車激突事故、ぶつかったのとぶつけたのと、これまでもけっこう助かってきた。掛け金の事を考えると、貰うよりは払っているほうが多いが、何かあってからでは大変、ということで言わばお守り代わりである。
 特に大学に入った時も、大学生協の共済保険にも入れた。
 以前、ピピンが小学生の時に止まった車に自転車をぶつけて傷を付けた時があった。この時も対物傷害保険も有効だったので事なきを得たが、子供と言うのは何をしでかすか分からない、親としてそのとき出来る最大・最低のことは責任を負わなければならないとしたら、精神的に『ゆとり』があった方が良いに越したことはない。
 万が一、あわてぬように、そのときに可能な限りの対応が出来るためにも、そのために保険に入った、ということだ。
 ま、本当のことを言えば保険なんぞに世話にならないことのほうが良いに決まっている。
 それにしても、ピピン、毎度保険担当者に電話をしなきゃならん時、君は入れておいて本当に『良かった』よ。
 心配して乗っていたせいか、帰ってから腰が痛かった。メリーと二人して湿布の世話になった。
 
 入院は一晩。
 翌朝はるばる電車乗り継いで病室にたどり着くや、ピピンの言ったせりふ。
 『腹減った、飯食わせろ。』
 朝食平らげての科白である。
 2日に退院、3日にCTのコピーと紹介状持参で私が入院した大学病院で診察・MRIの検査。
 そして4日に脳波の検査、そして10日に再診察。
 ....このくそ忙しい時期に!!!
 『とぅっく・ぴぴん』は健在であった...。


 

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鳥撮りです

お世話になります

My Nyans

  • DeBoomo=Zash 巨猫団入団!
    新メンバーとして許可されました 025
  • 巨猫団入団!!
    ☆我が家の癒しの権化@妖怪まくらぬし、くまっちが晴れて巨猫団の団員として認められました...。 今後ともご別懇に♪ 巨猫団。 くまっちのとても素敵な想い出になりました。 1_667
  • ☆ちびおでん
    oden その年は子猫の保護に翻弄された年でしたが、その第一弾がこの子でした。マンションの通路1階においてあったタイヤ(共用部分なのでホントは不法なのだが...)のなかで泣いていたのを私が保護せざるを得ない状況でつれて帰ったのが始まり、約一週間後に実家から持ち込まれた鼻気管炎の子、そして2ヶ月後に生まれたての3匹が排水管に投げ込まれ...結局9月に我が家には9匹の猫がいた勘定になるが、哀しいことに生まれたてのチビちゃん2匹は神様がお手元にお寄せになられしまわれた。新しいお家を探し始めたものの最初に保護した子はとってもナーバス、猫と飼い主になる方との試験期間もこの子には無理かもしれない、獣医の薦めにのっかって2匹を手放した寂しさに負け残したのがチビ・オデン。もっとましな可愛い名前を思っていたのにいつの間にかメリーが毛色などから『おでん』と呼んでいたのが定着、やれやれである。ただいま2歳、我が家のトラブル・メーカーである。毎日のように大好きなメリー兄ちゃんを困らせているしちょいちょいと隠れちゃ出す爪でストッキングの伝染被害増加中。さんざっぱら『あれ、いや。これ、いや』だが夜中にそっとやってくるチビちゃん、棄てられた子の心を治す事なぞできるものではないのだと改めて思う。『どーして、おにいちゃん困らせるの?!』今日もメリーの小言が聞こえています。
  • ☆通称・クロちゃん
    kuro クロチャンの本名は長いです、彼女が何かしでかすごとに名前がくっついて行きました。 “はげちょびっち・くろぷーすけぴー・たりりんぼまーる・かす”我が家最強にゃん、ちっぽと癒しの権化くまっちと兄弟とはとても思えない“不出来”な妹です。ちっぽたちはお腹に居る時から『モンプチ』などの高級カンカンで育ったのですが、諸問題が勃発、本当は避妊手術してクロちゃん達は生まれない予定だったのです。トラブルメイカーのためにくまっち達の育ての親代わりの方達が引っ越されてしまい、クロチャンたちも生まれてしまいました...。その後なんとかクロチャンたちのような事にならぬようクマかあちゃんは避妊の手術しましたが結局生まれた5匹の内里子にだせたのは『紋次郎』と名前を付けられた子とあまりの臆病とお間抜けに里子に出せなかったクロちゃんだけ。紋次郎も里親さんと連絡取れにくくなり元気でいるのかどうか不明になっています。契約書を取り交わす事を決意したのはそういうことからもあるのですが、なんにしてもクロチャン保護に当たっては結構大変でマンション自治会のメンバーとも一戦交えた事も。『野良なんか人に馴れるもんか』といわれましたがそんな事はありませんよ、自治会メンバーの一人であるピル簿旦那の帰りを心から待ちわびるのはクロチャンですから...。 ***2014年9月9日14時32分、16歳、右目した瞼にできた腫瘍により虹の橋を渡りました。
  • ☆みぃちゃん*********************2006年8月11日 肝嚢胞により死去、推定年齢15歳
    mie 三毛のみぃちゃんは12年も外暮らしをしていたしっぽの短いチイチャクて痩せた老猫です。面倒を見ていた方が引越しされてからずーっとそれとはなしに管理人の目を盗んでご飯をあげたりしていた。ペットクラブ設立を機に管理人さんに事情を話していつでも家に入れられるようにご飯をあげてなれさせたものの果たして我が家に来てくれるかどうか心配だった。老齢化が目に付きそろそろと思っていた矢先に子猫騒動で保護が伸びてしまったが冷夏と暖冬に救われた。しかし、東京も結構雪が降るんです、1度保護に失敗して様子を改めて見ていたのですが2月霙の夜、風邪を引いたのかよろけるように隠れ場所からでてきたのを見て援軍の息子二人を引き連れ有無を言わさず保護。しばらくはケージ暮らしをしてもらいましたが現在テーブルの下をわがテリトリーにして暮らしています。歯がもう抜けてしまっているのでお粥のようにしてあげいますが食欲旺盛。カリカリも食べたがりますがやっぱり丸呑みになるのでばあちゃんだけ別メニューです。多分12歳、ですから人間で言うと90才くらいでしょうか。目が余り良くないせいもありマンション敷地内でちんまり大人しく暮らしていたことが良かったのかも知れません。おしっこをあっちこっちにしてしまうので気をつけなきゃいけませんがペットシーツで済めばいい事。何にしても“長生きしようね、頑張ろうね..”です。
  • ☆ぎずも・ぐれむりん
    gizmo ☆ギズモ・グレムリン *********2009年7月1日。 慢性肝炎からの胆石と急性の膵炎により、手術後、急逝。享年10歳。 通称ギズくん、もしくはちゅーくん、は保護する前はどんな目に会って来たんだろうか。とにかく鳴けない、のどもごろごろしない、小心者というよりとにかく臆病だ。地震雷台風は大嫌い。すぐに情緒不安定になってしまう。くまっちに抱っこしてもらいなめてもらわない手落ち着かなくて寝られない。可愛い外見ではわからない彼には痛みが残っている。里親ポスターすら作らなかったのはギズモだけだった。まぁ、マンデに似ていたことも里親探すこともしなかった理由でもあるんだけれど。
  • ☆癒しの権化 くまっち
    *********2007年5月14日午前2時38分多臓器不全により死去 kumakun クマッチ君です。ちっぽとは同腹の兄弟ですがクマ母ちゃんがどうしても預けてくれず2年半ほど外暮らしを経験。ただし、幼少時お世話をしてくださった方にとっても大事にされたためとても性格が◎。その体格といいまさに癒しの権化でございます。セラピスト・クマッチの力は絶大。傍にこられただけでもの皆安らぎに包まれふかーい眠りに誘われてしまうのです。定期試験の前は入室制限をさせてもらってます...。
  • ☆ちっぽ
    20041126chipo とにかく、我が家最高最強のニャンです。 7月7日にクマかあちゃんから預かりました、可愛くってお利巧で、人の心をなにより判っています。ワイルドストロベリーといっしよのちっぽちゃんです

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