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2007年8月22日 (水曜日)

潮の香

輩-やから

 指輪物語に関するサイトは日本においても数知れずある。
 老舗、と言われるサイトもある。
 そういうサイトの影響は、大きい。
 サイトの管理者がどういうスタンスでそのサイトを管理運営しているかで意見・論調が異なることもそれぞれ魅力の一つだし、人気にもつながる。

 指輪物語とはなんぞや、という案内サイトと銘打ってあるが内容はかなり密度のあるサイトがあり、時々訪れては感心していた。けれど、一点、引っかかるものを感じていたが、今年になってサイト管理者が思い切って、なのだろう、持論を展開した。
 瀬田貞二さんの指輪物語とホビットについて。
 当然だが、別宮氏のあの著作についても触れ、菅原さん斉藤さんの対談の中で別宮氏のことを“輩”と言ったのは良くないとかなり厳しく指摘していた。菅原さんに対してかなりきつい表現を使い非難しておきながら、もう一人の斉藤さんについてはガンバの冒険の作者でファンだから許しちゃう、とあった。 別宮氏とはどういう人物で、どういう性格の先生だったか、と言うくだりをみると個人的にご存知ではないかとうかがえた。

 輩-やから。

 確かに、好感をもっている相手には、使わない言葉だ。
 けれど、あの対談を全文読んだ時、私には菅原さんが“輩”と言う言葉を使われた心根が理解できた。
 私も同様にそう、思ったから。

 そして、3月。
 帯状疱疹で点滴治療のため入院した折、この際にと持ち込んだ瀬田さんの遺稿となった“落穂ひろい”を読み終ったとき、胃の腑が締め付けられるような切なさと悲しみを味わった。
 こんなにも哀しい事があっていいのだろうか。
 これほどまでの痛恨な死があっていいのだろうか。
 
 瀬田さんがその人生かけた集大成となったろう作品は遂に本人の思うものとならぬまま、世に出ることになってしまった。さあ、これからというときに受けられた衝撃は、心も体も何もかも打ち壊してしまったのだ。
 菅原さんはお身内といってよいほど近しい交わりをされていた方だったから当然、その時の衝撃の惨い結果から“輩”という言葉を使われたのだとおもう。

 サイト管理者の非難の言葉が心にずっと引っかかっていた。
 忸怩だる思いが澱となって心の奥底に一つ、又一つと溜まっていく日々だった。
 とくに初心者には絶大な影響力があるサイトなだけにこのまま菅原さんに対しても非難がそのまま信じられ菅原さんへのイメージが間違ったまま信じられてしまうのではないか、そしてこの論調が“正しいもの”として認識了解されてしまうのではないか、ネットの力は大きいだけに腹だたしいけれど反論したら直ちに“瀬田信者”といわれ揶揄され、嫌なレッテルをはられてしまうようで尚の事一層焦燥とした感を抱いたままとなった。

 そんな中、ふとしたことから瀬田貞二さんを偲ぶ会が出した“記念誌”のコピーを見せて頂く事が出来た。
 届いて、嬉しくて、ぱらぱらとめくっていてふと目に入った言葉があった。

 “輩”

 それは「旅の仲間 瀬田貞二追悼文集」一部のなかで評論社社長、竹下晴信さんの書かれた『先生のこと』の文中にあった。この追悼文集の存在は知っていたし、いくつかの内容については目にしたこともあったが、全部ではないにしろまとまって読めるとは思いも寄らなかっただけに、目が釘付けとなった。

 瀬田さんがなくなる前年、11月の事。
 78年『翻訳の世界』12月号をご覧になった瀬田さんはすぐに評論社に竹下さんを訪ね、欠陥翻訳の見本として取り上げられたこと、そういう翻訳者として取り上げられた自分がシルマリリオンを訳し評論社から出すのはまずいだろうから翻訳を下ろさせて欲しい、と憔悴しきった様子でわざわざおいでになったことのお話だった。

引用させて頂く。

 『その前年の11月でしたか、先生が神保町の会社にみえられ、15分ほど時間が欲しいとおっしゃいます。それもたいへん、憔悴されたご様子で。ともかく近所の喫茶店にご案内し、そしてウィンナーコーヒーを前に、お声も聞き取れないくらい、また私が聞き返すのもはばかられる様で、うかがったのは、「かつて岩波から出版された本で...調子よく訳し筆が走りすぎた箇所があり、自分でも気になっていたのですが、直すチャンスもないまま...『翻訳の世界』という雑誌に欠陥翻訳の見本としてとりあげられてしまい...そういう翻訳者の手になるものをそちらで出されるのはまずいことと思い、お引き受けしている『シルマリリオン』の翻訳をおろさせてほしいと思います」
 こう伺っても、私としては先生の翻訳に問題があるなどと思いもよらぬことであり、また、あったとしても先生におりていただく気持ちもなく、その旨、申し上げました。ただ何分、先生のあまりのご心痛の様に気をのまれてしまい、軽々しくおなぐさめするのもはばかられたのです。』

 全部竹下さんの文章を読んで、涙が出ました。
 声を上げて泣きたいと思いました。
 瀬田さんの憔悴された姿が目に浮かびました、そしてそんな姿をご覧になった周りの方たちの心根を思い、胸がえぐられるようでした。
 
 落穂ひろいは、連載されていた当初から本として出版するよう強い要望がありましたが、瀬田さんは強く固辞されました。それは、連載というかたちでは到底完成したものではないこと、もっときちんとした資料をそろえて改定を加えなければならないということから、連載が終わっても出版されることはありませんでした。そしてようやく瀬田さんから資料や方向性が定まったので編集作業にかかりましょう、という時に体調を崩されそのまま落穂ひろいは瀬田さん本人の意を汲みさらに深い構想をもって練られぬままとはなりましたが、瀬田さんの遺稿として多くの方たちのせめてもの思いが重なって出版されました。
 それでも、出版された『落穂ひろい』は室町時代、お伽草紙から筆を起こし、日本の子供たちの文化を残さなければという強い意志をすみずみに感じさせる素晴らしい作品です。だからこそ、それゆえに、瀬田さんご本人が編集したなら、どれほどのものが世に出されたのだろうかと思うと無念としか言葉が出てこないのです。
 病院のベッドで読み終えたとき、喉の奥が痛くなりました。
 ぐつぐつと煮えたぎるような痛みがこみ上げてきました。
 怒りと口惜しさ、そして痛恨極まりない哀しみ。

 それを同じ時空列で味わった菅原さんたち、身近にいた人たちはいかばかりであったでしょう。

 “輩”

 菅原さん、そして竹下さん。
 自然とついて出てきた言葉だと思います。

 私は、瀬田さんの命を縮め、そして日本の子供の文化研究に残さなければならない作品を未来永劫、葬り去った横暴を悲しみます。日本の子供のために生涯を通じて精魂傾けてこられ続けた方は、そんな無遠慮極まりない暴力によって奪われてしまったのです。

 子供の事を『小さい人』とよび慈しまれた瀬田貞二さん。
 
 『瀬田さん、ありがとうございます。私はあなたのおかげで本の素晴らしい世界を知りました。言葉の素晴らしさを見つけました。有難う、本当に心からお礼を申し上げています、有難うございます。』

 

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コメント

ひさしぶりにこのブログを拝見しました。
イーヨーの語源については、私のブログ「魔法の小石」に書きました。
http://magic-pebble.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-c906.html

「潮の香」には続編の「汐の香」があります。

瀬田貞二信奉者さん。

さっそく拝見させていただきました。
由来となった本の表紙をみて驚きました。
読んではいないのになぜかこの表紙の絵、覚えていたからです。
イーヨ、というのがロバの鳴き声、といわれればそうなのかな、と思いましたが、なんだか『イーヨ』らしくない。
イーヨという名前にはもっと違う意味や思いがあったと思いたい。なので、心に残っていた表紙の本が由来、というのはイーヨが大好きだったので嬉しい発見です。
ありがとうございました。

ブログを書き始めています。プー横丁に出てくるロバのイーヨーという名前の由来について、私の新説です。よかったら覗いてみて下さい。

http://magic-pebble.cocolog-nifty.com/blog/

瀬田貞二信奉者さん。

「潮の香」の編集をなさった方のお目に留まったこと。
このブログを立ち上げた甲斐があった、というより本懐を遂げたと言って良いほどの嬉しさがこみ上げました。
今は休止状態ですけれど、指輪物語を声を出して読もう、ただそれだけの主旨で朗読の会を始め、指輪物語というひとつの媒体を通して知り合った方たちとの連絡ツールとして、また日頃思っている事どもをつれづれにと立ち上げたブログです。
瀬田さんのお訳しになった指輪物語は声をだして読むことで黙読よりも臨場感があふれ、また新たな感動が起きました。
瀬田さんがお残しになられた絵本は今も大事に読み継がれています。
それは何より子どもの心に瀬田さんの思いが春の陽の暖かさに似て素直にひとりひとりの心に差し込むからだと思います。
「潮の香」を読み返しては、作ってくださった方方への感謝の思いとそして瀬田さんがああいうかたちでいってしまわれた哀しい思いが交差いたします。
瀬田さんから教えていただいた物語を読むことの楽しさ、日本語の表現の深さ、これからも大事にしていきます。
御目に留めてくださり、心より感謝しております。
ありがとうございました。

「潮の香」は私が制作したもので、ごく狭い仲間内で資料として配付したものです。
 あの冊子の中で、瀬田貞二が日本文学、とりわけ俳句の素養が、あの名訳を生み出していったものであろうという文章を書きました。東大文学部国文学専攻で、研究課題は芭蕉、中村草田男門下生で、一門の同人誌『萬緑』の初代編集長なんですから。余寧金之助は俳号で、俳句仲間からは「余寧さん」と呼ばれていたらしいです。私は「指輪」や「ホビット」の原書と瀬田訳を見比べたことはありませんが、絵本ではいくつか訳語の比較をしています。原書の文章を超えていると思えるものがたくさんあります。
 こんなことを25年も前にあれこれ考えながらあの冊子をつくりました。「瀬田狂信者」と呼ばれるなら、こんな光栄なことはありません。瀬田貞二さんが亡くなって30年以上が経ち、児童文学の世界で、美しい日本語が消え去りつつあるような気がしてなりません。

 

瀬田貞二信奉者さん。

こんばんわ。
指輪物語が映画になって、この物語が広く知られるようになり、それはそれで嬉しいものもありましたが、ホビットの冒険などトールキン教授の作品の翻訳が見直されまたぞろ、瀬田貞二さんの翻訳に対して批判というか批難がネット上で起きました。
著名な大学教授が既にこの世にない瀬田さんを鞭打つが如きこともしていました。
確かに、瀬田さんご自身が認めておられたように全ての訳文が正しい翻訳になっていたとはいえないでしょう。でも、瀬田さんがお訳しになったからこその妙味を指輪物語もホビットの冒険も持つことが出来た、だから私は指輪物語の世界に入ることが出来たということは間違いない事実です。
瀬田さんを批判するサイドに対して反論をする、または異を唱えただけで『瀬田信者』と決め付けられ、まるで狂信者のように扱われることもありました。
実に哀しいことです。
枝の先の葉っぱが虫食いだったらその木は駄目だと切り倒されてしまったようにも思えます。
随分前の書き込みですが、読んでいただき、また同意してくださり、ありがとうございました。

 ご返事、ありがとうございます。私が思っていた冊子でした。 

 ただし、瀬田さんのご遺族が、身近な方々にと作成、配布された本が「旅の仲間 瀬田貞二追悼文集」で、その一部を転載した冊子が「潮の香」です。
 「潮の香」という題名は絵本「ねずみとくじら」からとったもので、表紙のイラストは「航路をひらいた人々」に所収の、余寧金之助(瀬田貞二)画です。

私もmogさんの『輩-やから』の文章には共感します。

 お名前がハンドルネームでも書き込みをされなかった方に返信のコメントをつづるのは、いかがなものか、と思いました。
 正直。
 でも、と思いなおしました。
 瀬田貞二先生について、私のつたない文をお読みいただいてのコメントです。
 瀬田先生に繋がることと思い直してお答えします。
 私が見せて頂いたのは、コピーでした。
 『潮の香』は、ご遺族が、身近な方方にと作成、配布されたものと聞いていましたが、どのような冊子であったのか、は存じませんでした。見ることは適わぬと思っていましたが、指輪物語をご縁に知り合いました方がコピーでよろしければ、と送ってくださったものです。
 川西市立中央図書館の蔵書をコピーしてくださったものです。バーコードのシールが張られているのですが、1987 瀬田貞二を偲ぶ会記念誌、として手書きの朝びらき丸のような船の絵が描かれたものです。
 青い表紙の冊子、だったのですか。
 偶然ですが、コピーを青いファイルにしていました。
 もし、詳しいことをご存知なら教えてください。
 宜しくお願い致します。

 

文中の「瀬田貞二さんを偲ぶ会が出した“記念誌”」は表題を「潮の香」と名付けられた、青い色の表紙で手製の冊子でしょうか。

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    mie 三毛のみぃちゃんは12年も外暮らしをしていたしっぽの短いチイチャクて痩せた老猫です。面倒を見ていた方が引越しされてからずーっとそれとはなしに管理人の目を盗んでご飯をあげたりしていた。ペットクラブ設立を機に管理人さんに事情を話していつでも家に入れられるようにご飯をあげてなれさせたものの果たして我が家に来てくれるかどうか心配だった。老齢化が目に付きそろそろと思っていた矢先に子猫騒動で保護が伸びてしまったが冷夏と暖冬に救われた。しかし、東京も結構雪が降るんです、1度保護に失敗して様子を改めて見ていたのですが2月霙の夜、風邪を引いたのかよろけるように隠れ場所からでてきたのを見て援軍の息子二人を引き連れ有無を言わさず保護。しばらくはケージ暮らしをしてもらいましたが現在テーブルの下をわがテリトリーにして暮らしています。歯がもう抜けてしまっているのでお粥のようにしてあげいますが食欲旺盛。カリカリも食べたがりますがやっぱり丸呑みになるのでばあちゃんだけ別メニューです。多分12歳、ですから人間で言うと90才くらいでしょうか。目が余り良くないせいもありマンション敷地内でちんまり大人しく暮らしていたことが良かったのかも知れません。おしっこをあっちこっちにしてしまうので気をつけなきゃいけませんがペットシーツで済めばいい事。何にしても“長生きしようね、頑張ろうね..”です。
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